デザイン科 2024

※準備中です

K.Aさん

合格大学:東京藝術大学デザイン科
多摩美術大学プロダクトデザイン学科
武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科

出身校:啓明学園高等学校

高2の時にどばたに初めて冬季講習で来て芸大デザインを受けると決め、基礎科にて数週間、それからは芸デの夜間に通いました。経験が少ないなりに頑張ったのですが、最終合格はできず浪人が決まりました。一浪中は技術を身につけ、友達もできて、色々と成長することができました。自信を持って試験に挑み、受かってると思って結果を待っていましたが、一時通過者の番号表に自分のものは見つからず、一浪を終えました。私大に通うか迷った結果もう一浪することにし、2浪で最後と決めてもう一年どばたに通うことにしました。一浪の時の反省を元に石膏や色彩に関するプロセスや考え方を変えて、徐々に成長していきました。最終的には合格することができました。三年間受験に向き合って学んだことがあります。

一つは常に変化すること。ありきたりかもしれませんが、大事だと思います。自分が手に入れた技術や結果に満足せずに次へと積極的に変わろうとすると、発見がありました。執着をなくして常に動くことが自分にとって一番成長のきっかけとなりました。

二つ目は素直であることです。これはどちらかと言えば受験に限った話ですが、課題に正直に答えることは強みだと思います。変に技術を見せるのでも、得意な表現を見せるのでもなく、課題に対して素直に良いと思ったら、それを描く。自我を殺すというより、無理に自分を出さない、自然と出る自分を待つという感覚に近いと思います。過剰に意図を持たないで、デッサンであれば目の前の石膏に従って描いて、二次課題であれば課題に素直に反応することが自分は一番やりやすかったです。

H.Kさん

合格大学:東京藝術大学デザイン科

出身校:愛知県立瑞陵高等学校

『それぞれのやり方』

私は現役まで地元の美術予備校に通っていましたが、浪人するにあたって上京し一年間どばたのお世話になりました。

どばたに通い始める前の私は自分の強みや表現したいものが何一つ分からず、前年の二次試験では自己を出せずに終わってしまいました。そのため私の浪人生活は、技術向上とともに自分らしさを探すことを課題に設定してスタートしました。

とはいえ自分らしさとはそう簡単に見つけられるものでもなく、冬期講習までに何度も失敗したりスランプに陥ったりしました。そういうときに私は、過去に良い評価を貰った作品を見返して、失敗した作品と比べてどんな点が良かったのかを何度も自分なりに分析していました。また、どばたには多種多様な表現を持った生徒が多く通っているため、他作品から良さを吸収しやすく、(取捨選択は必要ですが)自分に合った表現や戦い方を見つけやすかったと思います。

また、私は草案の時間が他の生徒に比べて30分〜1時間ほど長くなりがちで、それを短くしようと躍起になっていました。しかし、焦って周りのペースに合わせるよりも、ゆっくり時間をかけて完成のイメージを固めてから制作に入る方が良いものが作れている、と講師から指摘され、実践してみると評価が安定したりしました。また、立体構成に関しては途中から紙での草案でアイデアを固めるのをやめ、盤上で面白い形を探すようなプロセスに変えました。(あくまで一例です。こういったやり方が向いてない人も居ると思うので安易には真似しないで!)自分に合ったやり方を探求できたことは、二次課題の成長に大きく貢献したと思います。

私のように、がむしゃらに制作するより1作って10考えるようなやり方が向いている人も居ると思います。行き詰まったときには一歩立ち止まってみてはどうでしょうか。

C.Sさん

合格大学:東京藝術大学デザイン科

出身校:国立 東京学芸大学附属国際中等教育学校

『試行錯誤の末にみえたもの』

私は高校2年の秋から基礎科に入り、2浪の末合格することができました。

自分の好きを活かしたい、と藝大受験を決意しましたが、いざ予備校生活が始まると周りの人たちの作品に圧倒される毎日でした。

参作をスケッチブックに貼り、構図や明度計画を分析するノートを作るなど、試行錯誤しました。 評価の良い作品と自分の作品に日々向き合っていくうちに、論理と感覚のバランスを取れると人に伝わる作品になるのではないか、と考えるようになりました。
自分の好きな世界観を2次作品に落とし込みたいときも、コンセプトやエスキースなど言葉でまとめる部分をしっかりと行うことで、その後のプロセスが円滑に進みやすく、評価も安定していきました。

方向性に悩んだとき、いつでも面談に応じてくれた先生方に感謝しています。ありがとうございました。

H.Nさん

合格大学:東京藝術大学デザイン科
多摩美術大学グラフィックデザイン学科

出身校:東京都立総合芸術高等学校

『気づけたこと』

藝大を目指そうと思ったのは「なんとなく」でした。そのためいつも不安でした。

漫然と浪人を決め、呆然と過ごした私の数年間の受験生活は実にいい加減で、自主練をコンスタントにこなすどころか日々の登校すらままならないもので、多くの人に迷惑をかけ、とても参考にできるものではありません。ふつうに予備校は毎日行った方がいいです。
ですが、この怠惰で不安定な数年間の間に実に多くのことを経験し、学ぶことができました。映画を観て本を読みましたし、自分たちでビザを取って友人と一緒に中国に旅行して北京などを観光することもできました。美術に関係する人ともそれ以外の人とも接して自分の本当に好きなことや、やりたいことを見つめ直せた浪人生活だったと思います。
すいどーばた美術学院の、二度の自主制作の課題もそれを助けてくれました。アトリエを自由に使って自分のための作品が作れる機会はそうありません。大事な経験でした。

そうして自分が藝大に入学して何をしたいか、「なんとなく」ではなく何故東京藝大でなければいけないかを考えて、実はそれをするのに必ずしも藝大に入る必要はないと気づけた時、漠然とした未来への恐怖から解放されて、初めて落ち着いて大学受験に臨めました。二浪の終盤の頃です。
結果的には藝大デザイン科に合格することができましたが、例えこの結果が不合格に終わったとしても、浪人してゆっくり自分と向き合えたことを後悔することはなかったでしょう。授業態度は非常に見下げ果てたものでしたが、それでも色んな意見を持つ先生たちに評価してもらえるのは刺激的でしたし、全体講評に挟まる軽いコントが大好きでした。
今までお世話になりました。これからも自分のペースで頑張りたいです。

K.Kさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 デザイン科
多摩美術大学 グラフィックデザイン学科
多摩美術大学 統合デザイン学科

出身校:逗子開成高校

『藝大を目指し続けた2年間』

忘れもしない高校2年の3月、僕は国立理系のクラスから変更して美大を目指す選択をしました。目指し始めたのはもちろん東京藝術大学。その目標は当時の自分からしたら身分不相応も甚だしいものだったし、周りからもこの2年間何度止められたかも分からない程でした。ただ、止められれば止められるほど自分の中の藝大に対する想いは強くなり、「藝大に通いたい!」「上野で美術を学びたい」という原動力だけで周りを説得し、予備校を変え、自主練をし続けこの春合格することが出来ました。このがむしゃらに藝大を目指し続けた2年間の経験は自分の人生でとても重要な期間になったと思うし、コロナ禍からの怠惰な3年間に比べれば100倍楽しい時間でした。藝大はほとんどが浪人だし、何回も心が折れると思うけれど周りに流されず、自分の信念を貫いて欲しいです。

すいどーばた美術学院は大手のメリットである「沢山のライバルの作品を見れる」というメリットもありながら「しっかりとした指導をして貰える」という唯一無二の予備校だと思います。自分の合格もどばたの先生達の手厚いサポートのおかげだと思います。1年間ありがとうございました!!

I.Yさん

合格大学:東京藝術大学デザイン科

出身校:白百合学園高等学校

『とにかく自分に正直に向き合う』

高2から芸大を目指してすいどーばたに入った私は、何かを描いたり、作ったりすることが、
こんなに深いものだということを知りませんでした。

現役の1年間は、ただひたすら描いて作って、うまくいくとテンションが上がって、うまくいかないと泣いて、の繰り返しで、本番もとりあえず作って帰ってきてしまいました。

一浪になってまず壁となったのはデッサンでした。
現役生たちの、ピュアで澄んだ綺麗な見方ができなくなっていたからです。
受かることしか頭になくて、ただ手を動かすという感覚でした。

去年よりどんどん下手くそになってきて驚きました。逃げたくて仕方がなくて、どばたに行くのが嫌になりました。
「どうしよう、先生に聞いても全然わからない」と、焦りに焦った結果、ヘニャヘニャしてくるくせに頑固な私は、この時逃げるを選択しました。
東京を出て、静岡に1週間引きこもりました。
富士山に見下ろされて、カモが一列に泳いでいるのを眺めて、オリオン座がすごく近くに見えて、ずーっと水の音を聞いているうちに、どばたのみんなにもこれを見せたくなってきて、先生と語り合いたくなって、絵を描きたくなって、マルスが恋しくなってきて、粘土をちまちまいじりたくなってきました。

その時、やっぱり私にはこれなんだと思いました。

自分はなんでここに通って、芸大を目指しているのか、何で毎日絵を描いて、粘土をこねてるのか。そんなことを、ゆっくりゆっくり1年かけて自分なりに正直な答えを出すことが大切な気がします。

それから、日常の小さなことにも感想を持ってみるのも良いと思います。
何でこの人といると楽しいのかな、
なんで夕方の5時台ってエモいんだろう、
この曲が好きなのはなんでだろう、とか

そうしてるうちに、自分の「好き」の共通点がわかってきたりすると思います。そしてそれを友達にも「わかる!」って思ってもらえるくらい伝えられたらなー、、そんな感じで制作に向かえたら良いのではと思います。

忘れちゃいけないのは、本番は自分でやるということです。すべての話は参考にしかならないです。
自分の人生で、自分が芸大に入りたいだけ、自分が絵を描きたいだけ。
1番付き合いの長い自分自身ですから、きっと誰よりも自分を理解してるはずです。
自分なりの受かり方をみつけてみてください。
その手助けとして、うまく予備校を活用する感覚でいいと思います。

3年間、とっても濃い時間を作ってくださって、ありがとうございました。

M.Sさん

合格大学:東京藝術大学デザイン科

出身校:長野県飯田高等学校

『藝大試験、波乱の15日間』

2月28日、一次試験は石膏デッサン、モリエールでした。私はここで大きな失敗をしました。焦りから無駄に鉛筆を動かしてしまい、終了1時間前には、絵が真っ黒になっていました。絶望の中でひたすら練りゴムを転がしました。 終わった時には、普段はあまり汚れない手の側面が、真っ黒になっていました。
絶対に落ちたと思いました。

その日の夜、衝動的にオンライン求職サイトに住所と名前を登録していました。もうこれからの人生、絵を描くことは無いだろうと思いました。それからの一週間、家の人を心配させないように予備校に通うふりをしながら、画材費を切り崩して遊んでいました。

そして一次試験の結果発表日。昼に起き出して受験サイトを見ると、驚いたことに自分の受験番号が並んでいました。今までの人生で最も嬉しい瞬間でした。その後の最終合格発表より喜んでいたと思います。

次の日から二次試験までの3日間、今までにないほど集中して過ごせました。岡本太郎は一度死んだ人間になれと言いましたが、その言葉の真意を垣間見たようでした。

二次試験当日、何を考えていたかは正直覚えていません。課題文に答えることと、完成した作品の見栄えが良いかどうかを見ることのほかには、何も考えず、何も感じなかったと思います。
合格発表は、3月14日の朝10時でした。発表後すぐどばたに向かい、講師の先生方に感謝を述べた後、記念写真を撮りました。前日からほとんど寝ていなかったので、やつれた顔で写真に写っています。なかなか合格したことの実感が持てず、合格体験記を書いている今になってようやく実感が湧いてきた所です。

最後になりますが、これから藝大受験をする皆さんは、私を反面教師として、一次試験の結果に不安があってもすぐに切り替えて二次試験に向かってください。自己評価は案外当てにならないものです。間違っても、画材費を使い込んだり、求職サイトに登録したりしてはいけません。

今も求職サイトから連日メールが届いています。

K.Mさん

合格大学:東京藝術大学デザイン科

出身校:東京都立総合芸術高等学校

『好きなことを伝える』

合格体験記を書くにあたり今、思い返して改めてどばたの皆んなに助けられたのだと痛感しています。
どはたには現役の夜間部、1浪の昼間部の約2年間通いました。高2の時に各大手予備校の季節講習や無料体験に参加をして決めました。大手に絞ったのは高校受検のために通った予備校が少人数で、手厚い指導や色々と融通がきく反面、自分の立ち位置が分からない不安があったためです。
先生の指導が自分に合っているなと思ったのが決め手で選びました。結果、充実した受験生活を送ることが出来たと思っています。先生や講師の方々との距離が近く質問しやすい雰囲気があり、優秀な生徒作品には常に感心させられ、刺激を受けました。自分も追いつきたいと、先生方にはもちろん、仲間にも色々と聞いてテクニックを教わりました。私は描写やグラデーション、粘土が苦手だったので得意な子に教えてもらいました。そうこうするうちにどう努力してもあの人のアレには敵わないということと、コレならそこそこ勝負になるという自分の武器や強みのようなものが見えてくるようになり、先生方もそれを伸ばすような指導をして下さいました。受験当日は自分の得意なこと、好きなものをアピールできるような作品を作れるよう心がけました。
最後に藝大を志望した理由ですが、初めは経済的なことだけで選びました。漠然と将来は商業的なデザイン職に就きたいと思っていたので、私大に魅力を感じつつの藝大志望。しかし、デザインを勉強したり、私大、藝大の作品展を見たりしていくうちに自分の作りたいもの、やりたいことは藝大にあるのだと強く感じるようになってゆき、絶対に藝大に入りたい気持ちで受験に臨みました。