工芸科 2023

※準備中です

K.Sさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:総合芸術高校

『感動を大切に』

この1年は私にとって鬼門でした。

二次試験で落ちた現役の去年、こんなにも一瞬にして人生が決まるのだなと無力さと不甲斐なさでいっぱいになり、苦しくて仕方がありませんでした。
そしてすいどーばたでの浪人生活が始まった当初も、参考作品やまわりのレベルの高さに圧倒され、ただ技術力と評価をあげることに躍起になって自分を追い詰めていました。

しかし秋頃になって面談や講評後の先生との対話を通して、自分は綺麗な光と描写を意識した絵が好きだということに気づき始めてからは自ずと制作が楽しくなっていきました。
どばたは光源が絞られているのとモチーフがいつも新鮮だったので、綺麗な光のイメージが想像しやすくとても助かりました。
光を意識するようになると、通学途中の何気ない木々の木漏れ日や雨上がりの水溜まり、反射や影さえもキラキラして見えるようになりました。
そしてこうした感動はアイデアの引き出しとなって、表現の幅をぐっと広げることにつながりました。
納得のいくものを作るには、あまり受験を意識せずにリラックスし、1つの『作品』をつくる意識で自分の好きや感動を表現することが大事なんだと思います。

とはいえ、講評がつらくなるときもあり逃げてしまうことが多々ありました。
先生方にはご迷惑をたくさんおかけしました。
それでもそんな私に先生方は、夜遅くまでとても親身に相談にのって下さったり、失敗をすればその反省を活かしたリメイクをサポートして下さいました。
おかげで自分の得意不得意や気にすべき箇所も明確になり失敗することも減っていき、本番でも悔いなくしっかりとやりきることができました。

この1年、苦しいときもありましたが、それを乗り越えて合格することができたのは、メンタル面や技術面で支えてくださった先生方だけでなく、助手さんや家族、切磋琢磨した仲間のおかげです。
皆さん本当にありがとうございました。
すいどーばたで学べたことに今とても感謝しています。

R.Tさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:千葉日本大学第一高等学校出身

『合格するまで』

私が美術関係の進路について本気で考えだしたのは、高校2年生の終わり頃でした。
自分は美術部にも入っておらず美術選択をした程度の浅い付き合いだったのですが、絵に関しては友だちとか先生にも褒められていて、「まあいけるやろ」程度に軽く考えて自信満々で家から近かった千葉の美術予備校にはいりました。
それからは自分の実力の低さを突きつけられるような毎日でした。
美術専門の高校でもっと早い段階から美術に本気で向き合ってきた同級生と比べ、自分は考えも甘いどうしようもないヘタクソで、とにかくその差を埋めるため練習するしか無いと思いましたが
そう上手くはいかず、家から近く課題も多くもらえる予備校だったので、実力はついていきましたが
残念ながら合格には至りませんでした。
3回目の不合格が決まった年に、
自分の尊敬していた先生達が、他の環境に移ってみるのも選択として考えてみてほしい と、提案してくださり、その予備校で多浪生としてやっていく自信を無くしていた自分は逃げるようにその提案に乗っかりました。申し訳ないです
どばたに来てからは人数が多くて、誰が誰より上手いとか下手とか気にならなくなりました。
また、色々な個性がそれぞれ評価されていることで、自分の個性も確認しやすく、出来ないことはせず、自分に出来ることを最大限に発揮できるようになりました。
その上ではっきりとした評価分けがされるので、より客観的に自分の現状を見れて、自信にもつながりました。
通学が大変だったので前の予備校よりこなした課題や自主練習の時間は少ないですが、合格を目指す最終的な環境としては、これ以上ないほど良い環境にいれたと思います。
こんな下手くそをサポートしてくださった先生方と、4回も同じ大学に挑戦させてくれた両親には感謝しかありません
いつか返せるなにかができるように、これからの大学生活でも成長し続けます。
一年間ありがとうございました

A.Kさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:広島市立基町高校

『自分と向き合うこと』

一浪の春に上京し、すいどーばたに通い始めました。
レベルの高い環境で上手くなるぞと意気込んで浪人生活を始めたものの、地方で受験対策をしていた私は基礎的な知識すらあやしく、自信も持てずただただ完成させることに精一杯の毎日を過ごしていました。

そんな中、自分の作品が良くなる方向に向いたきっかけを覚えています。
担当の先生との面談で、自分の良さと苦手なことを挙げるように言われました。苦手なこと数個以外にほとんど思いつかず、それまでの私は課題ごとの振り返りはしていたけど、自分自身を分析し向き合うことから逃げていたことに、そこで初めて気付きました。
その後は自分の良さやこだわりポイントを伸ばし、やりがちな失敗をしないよう、改善を重ねることに務めました。少しずつ進むべき方向が見えてきました。

先生は的確なご指摘をくださると共に、私が自分で考える時間を多くとってくださいました。それが、私にとってとても大切な時間だったように感じます。

上手くいかない日は切り替えて、本番で上手くいかなかったとしてもメンタルを保って完成させる練習だと思って取り組みました。
泣きそうになりながらなんとか作品を完成させた経験は、本番前の自分のお守りになりました。

最後まで苦手を完全に克服することは難しかったですが、本番では前日までの失敗が心の支えになったと思います。

親身になって指導してくださった先生方、様々な気持ちを共有しあった友達、環境を整えてくださった助手の皆さん、そしていつでも私を一番に信じて支えてくれた家族。感謝でいっぱいです。
ありがとうございました。

R.Oさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:千葉県立千葉北高等学校

『藝大なんてツチノコだと思ってた』

デッサン平面立体思ったことを描いていこうかなと思っとります。デッサンは現役の頃からずっと苦手だった。印象をこれでもかっていうくらい外していたから描いていてつまらなかった。でも印象が似れば楽しかった。そーゆーもんですデッサンって。現役1次なんとか受かった時は光と印象を永遠直して描き込みぼぼZEROだった。なので今回のジョルジョも前日どばたで下段取ったけど光の設定と印象だけは外さないよう心がけた。どばたでの日々はデッサンだいたいC〜C゜ときにBみたいな感じ。そんな私に転機が!それはコンクール、デッサン75点に届かなかったら2次受けられないのときにまんまと落ちやがったの。でもそれが今思えば転機だった。たしか天気は晴れだった。てんきだけにね。田代先生のレクチャーのおかげでデスケルに頼らずとも測り棒と自分の眼(まなこ)で形を取るようにしたら印象、骨格のズレが軽減されるようになった!あとは元から書き込みとかは好きだったのでC゜、Bを安定して取れるようになった。
平面は現役の時苦手すぎて工芸やめようかと思っていたほど。今となっちゃ俺の右腕や!!それは自分の強みを見つけて好きを極めた事が大きいと思う。平面で気をつけていたことは自分の部屋に飾りたくなるかとオリジナリティーそれを追求し続けた。居残って描写練はあまりしなかった。バイト週2でやっていたし何より疲れているのに描写練なんて俺が出来るはずない。あとは家からどばたまで2時間かかるっていうのが大きかった。なので毎課題ちゃんと描写を進化させ続けた。休みの日なんかは家で描いたりしてた。
立体は凄く伸び悩んだずっとD゜〜良くてC゜なんかを縦横無尽に行ったり来たりしていたが、10月辺りから粘土の量、面積バランス、抜け、くろの入りなんかを一気に意識できるようになって派手な立体ができるようになった。それは頭に思い描いていたものはずっと変わらないのだがそこに技術が伴ってきて作れるようになってからは評価が追いついてきた。
最後に藝大なんて倍率バケモンだしこんなん受かる奴いんの?これ受かるってlike a ツチノコ狩りだって思っていたけど、自分に繰り返せ自問自答あとは信じることだと思いました。

K.Sさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:ノートルダム清心中・高等学校

『これから』

皆は好きな色があるだろうか。私は昔から、きっと誰よりも、青に執着してきた。何かしらの心の動きが創作のきっかけになっていると思うのだが、私の場合それの多くは青を美しいと感じることだったように思う。

というのは私が高校の卒業文集に書いたものの冒頭部なのだが、青というのは私にとって幼い頃から変わらず惹きつけられる、自分の根底にあるような存在なのである。なら受験においても青い作品を多く描いていたのかと言われると、そうではない。私は受験作品に自分の"好き"を反映させるのが苦手だった。

受験に向けた課題は技術的な部分で一定の基準をもって評価される。限られた時間の中でその基準をクリアし大学に評価される作品を作らなければならない。広島から上京し受験を迎えるまでの1年間、私の課題への向き合い方は専らこのような考えに基づいていた。この考え方だと成績は安定するのだが、自分が何かに対して"美しい"だったり"かっこいい"だったりと感じる気持ちが疎かになってしまう。技術的な部分とは違う所でその人らしさが滲み出る、所謂作品性の高い作品を生み出せる人を見ては羨ましく思うが、課題で求められている所と違う部分で自分の"好き"を出そうとするとうまくいかない、というジレンマから結局抜け出せなかった。

私が尊敬するアーティストの1人である大竹伸朗氏が何処かで言っていた、"論理性や文脈がはっきりとしたものをつくりたいわけではない、単純にかっこいいもの、ぐっとくるものをつくりたい"という言葉はジレンマを感じる私にとってとてもショッキングでありながら、創作への意欲を猛烈に掻き立てるものでもあった。

広島から東京に出てきてすいどーばたに通った1年間で沢山の基礎的な知識と技術、自分を時に自分よりも理解し支えて下さる講師の先生方、高め合え励まし合える仲間を得ることができた。

次は自分の”好き”に、”かっこいい”に素直に制作がしてみたい。

これからの私は、青い作品ばかり生み出すのだろうか。

Y.Nさん

合格大学:東京藝術大学工芸科
多摩美術大学 工芸科
武蔵野美術大学 工芸工業デザイン学科

出身校:岡山大安寺中等教育学校

『自分は受かると思い続けた』

僕は高2に上がるタイミングで藝大を目指すと決め、高2の夏期講習から地元の画塾に通い、高3の入試直前講習の後半からすいどーばたにお世話になりました。

初めてどばたに来た時、デッサンは1次通るか微妙、2次課題は下段しか取れないような状態でした。

そんな自分に1から丁寧に教えていただいたり自主練のアドバイスをしていただいて、都心の大手予備校は下位層を放置するイメージがあったのでここまで丁寧に指導していただけるんだと感動したことを覚えてます。上手い人に追いつくためにはこの環境で学ぶことが必要だと思ったので上京しました。

浪人中は、出来る限り毎日通い、1次落ちの評価を受けたり下段を取ったりしてもまあ受験漫画にするならこの辺で失敗してる方が面白くできるしな〜って自分が主役の受験漫画を想像し無理矢理メンタルを安定させてました。

まあそんな事考えてても何もしなかったら全然成長しないので、少しでもはやく上位に追いつくために、家で画面構成や必要な描写を学ぶために参作模写をしたり、描写練をしたり、毎回描いた作品は家に持って帰り壁にかけて見えるようにして、目に入る度講評で何を言われたか、上位の人や上手く行った時との違いは何かを考えるようにしてました。

いろんな生徒がいて周りから吸収でき、いろんな評価軸を持った多くの講師からさまざまなアドバイスを受けれるこの環境で2年間学べてよかったです。ありがとうございました。

A.Gさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:流山南高校

『浪人記』

思えばずっと他人と比べていた。
1日の評価に一喜一憂。1番になりたくて、でもなれなくて、毎日泣いてた。
そんな事を繰り返す事が良い方向に進んでいくわけ無かった。自分のことが嫌いになり、1番やるべきである、もっとこうしたら作品が良くなるとか単純な向上心が持てなくなった。美術に対する貪欲さも減っていたと思う。
二浪の冬季講習はズダボロだった。
自分で自分をダメにしてる、このままじゃ入試前に折れてしまう、現状がまずいことだけは分かった。
年越しのタイミングで考え直した、落ちてから気づくじゃ遅いと思って、色んなことを試した。

「頑張るのを止める」シンプルに気合を入れない。
それまではモチベを上げすぎて課題に臨み、考えすぎて制作過程でちょっとでも不安に思う事があると絶望し、自信を無くしそれだけで時間ロスややり切りができない事が多かった。けれど頑張るのをやめて、一歩引いた目線で制作に取り組めるようになってから「冷静さと客観性」の大切さに気づけた。
正直これが全てだったと思う。
最後のデッサンコンクールなんて鉛筆も削って来なかった。多分2年浪人してコンクールで鉛筆削らんなんて初めてだったんじゃないか。いやそれは良くないんだけど、多分それくらいでちょうど良かった

実力的な所ももちろん現役〜一浪、一浪〜二浪と成長していったが、
ここの精神的な成長がなければ受験は乗り越えられなかったと思う。

最後に、こんな泣き虫の私と真剣に向き合ってくれた先生方、友達、家族、心から感謝しています。ありがとうございました。
やっと入れた大学、悔いのないように!!

K.Oさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:都立総合芸術高校

『自分を信じること』

私は小学1年生で将来の夢や目標を書かされたとき、芸大に入ると書きました。その目標を達成するために中学1年生から予備校に通い美術高校に進学し今まで美大受験のために過ごしてきました。

しかし合格にも少し希望があった現役の入直で、突然上手くなっていく人達と自分を比べてしまいメンタルがやられてしまいました。

毎日泣いては自分はなんでこんなに成長が遅いのか、長く美術をやっていた分抜かされていくのがものすごく悔しくて悲しくてどんどん描けなくなり私は1次で落ちました。

一浪生活が始まり、メンタルを強く保たないと受からないと思い他人と比べることをやめ、自分の中で出来たか出来なかったかを判断することにしました。上手く行かない日があっても本番成功すればいい、と沢山言い聞かせました。

そのおかげで1年間安定し自分の中でのやるべき事、及第点が明確になったと思います。

本番で最高のコンディションを出せるよう体力を調整するため休んだり、毎回本気で取り組めてたわけでもないと思いますが、そんな私にもっと頑張れなど言わず1年間見守ってくれた先生方、両親にはとても感謝しています。

自分で自分を信じることは大事だなと気付かされた大切な1年間になりました。

今まで本当にありがとうございました!

M.Nさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:四天王寺高等学校

『楽しくいるために学ぶ』

現役~1浪までは自分の技量をあげることに専念し、2、3浪は自分の好きなものを探して作品に落とし込むことを主においてやってきました。
制作で常に考えていたのは、自分が今ここでどう思ってどう作りたいかの衝動的な感情で、自分が持つ技術と知識でいかに作品を新鮮にさせるかを考えるのが好きでした。
そこで1番壁となったのは客観と主観の擦り合わせでした。どばたではその客観の意見が多く聞ける点で役に立つことが多々ありました。ので同じ作品の講評でも人によって違う意見が聞けて、その中で自分の欲しい意見を選べるのは難しいと思いながら楽しいことでもありました。

その他にも授業外での先生達や友達との交流などからも学びが得られるのでとても楽しんで制作出来ました。多くの人と関われて良かったです。ありがとうございました。

H.Sさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

『自分を知ること』

そのことがどれほど重要なことか気づいたのは2浪目の冬季講習、入直でした。今までは、自己分析をあまりしておらず、課題に応じて0からアイデア出しを毎回考えていたのでエスキースが長すぎて、完成できなかったり、イメージ不足で、手に負えなくなってしまったりで、安定して仕上げることが出来ずにいました。そして入直になりこのままの流れではだめだと思い、徹底的に自己分析をしてみることにしました。自分の良いところ(出来る)、よくないところ(出来ない)、何系をすることが多いか、何が得意か、どういうのが好きか、講評でよく言われることは何かなどを考え、課題をこなしていくようにしました。するとアイデア出し、エスキースの時間が短縮され、大きく沈まず安定して評価してもらえるようになりました。そして自己分析を続けていくうちに、入試の不安はあまりなくなり、「自分のできることをただをやるだけだ」という自信に変わっていきました。そして迎えた3回目の本番、自分の強みを活かし、苦手を上手くカバーすることができたので大きな失敗なく試験を終えることが出来ました。自分を知ることはいろんな面で安定をもたらすことができるので大切だと身をもって実感しました。受験を通して学んだことを忘れず何事にも全力で取り組んでいきたいと思います。
そして、約3年間、諦めずに過ごすことがてきたのもすいどーばたで指導していただ先生方のおかげです。ありがとうございました。

S.Tさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:阿久比高校

『無駄なんてない』

僕は地元の予備校で3年間、どばたで一年半浪人生活を過ごしました。この約5年間をまとめると、やってきて無駄だったことはひとつもないということです。自分は美術を始めたのが一浪からで周りとの差は歴然としていました。しかし高校時代にやっていた部活や生活習慣、それまで生きてきた環境や経験、バイトをして一人暮らしをしたことなど、美術には関係無いようなことでも今の自分に結び付いていると思います。どばたには自分よりも上手な人が沢山いて自分とほかの人を比べてしまうけど、自分には自分だけが歩いてきた道があるはずだから、これからもその道を大切に歩いて行けたらいいなと思います。
また自分はとても恵まれた環境で浪人生活を送ることが出来たと思います。いつも指導をしてくださる先生方、ともに競争しあえる仲間たち、長い間反対せずに応援してくれた家族、いままで僕に出会ってくれたすべての人に感謝したいです。

K.Oさん

合格大学:東京藝術大学工芸科
多摩美術大学工芸科

出身校:都立大泉桜高等学校

『根拠の無い自信』

僕は一浪までデザイン科で授業を受けていて、次の年から工芸科に転科しました。
初めの頃は、レベルの高い他の生徒に着いていけず、不安や劣等感を抱える毎日でした。
こんなにもすごい人達が沢山いるこの環境で、1年間で戦えるようなレベルに持ってこれるかと言われると、正直無理だなと思っていました。
そんな不安に満ちた毎日でしたが、ある日先生が講評で、「根拠の無い自信を持ちましょう」というアドバイスをしてくれました。根拠も何もないので、別に責任を負う必要も無いし、なにもカロリーを消費しない便利なものだと、教えてくれました。
ネガティブが爆発していた当時の僕にとってとてもその言葉は響きました。あらゆるプレッシャーに対しても、根拠の無い自信を持つことによりかなり気が楽になりました。
それから本番までずっと「何か確信がある訳じゃないけど受かる気がする」を意識し続けて、ついには合格することが出来ました。この考えは大学に入っても社会に出てもずっと使うだろうなと思います。
受験をするとあらゆる責任に押しつぶされそうになる時は少なからずあります。
そういった時こそ「根拠の無い自信」を思い出すと、良いことあるかもしれません!

H.Yさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:広島市立基町高等学校

一歩ずつ少しずつ

現役の頃は長期休みの期間だけすいどーばたの講習会に通いました。地方出身のため、周りに藝大を目指す人も少なく、同年代の参作も少ないなかで制作していました。講習会でどばたに来ると、藝大を目指す人達に囲まれ、周りの作品や参作もどれもレベルの高いものばかりでとても刺激を受けました。

そこで一浪の春からどばたに通うことに決めました。

二次課題が苦手だった私は、自分の強みもわからず、何をしたらいいのかもわかっていませんでしたが、日々の全体講評や個別対応課題、先生方とのコミュニケーションの中で自分の弱点に気づくようになりました。自信もなく、評価も上がらない前半に比べて、後半は徐々に上段に上がることも増え、自分に向いている構成や色味もわかり、以前より自信がつきました。

最初の頃は周りの技術に圧倒され、実力不足を思い知らされましたが、最終的には自分なりの強みがわかるようになりました。一年を通して感じたことは始まりが右も左もわからない状態でも、自分のペースで課題を乗り越え、進んでいけば大丈夫だということでした。

すいどーばたに通えて本当によかったです。先生方、関わってくださった方々、ありがとうございました!

Y.Nさん

合格大学:東京藝術大学工芸科

出身校:HWASU HIGH SCHOOL

『色んな物を見る』

僕は‘最近見た参作が面白かった’‘今日のモチーフ可愛い’などその時の気分で構成を組んできました。

最初は受験が飽きないよう自己満足でやっていたのですが。

予備校で基礎を学び、完成度を上げられるようになってそれは個性になり自信になしました。

また、より活かすためにより多くの作品やモチーフの観察が必要と感じ色んな物を見る時間を増やしました。

そのおかげで観察力が上がり最終的の画面が想像できるようになりました。

これで構成に悩む時間もなくなり1年目は一日中アイディア出ししてたのも開始3分以内でアイディアが決まるようになりました。

あと、いつ伸びるかわからないので、最後まで諦めないのが大事だと思います。

僕は一次試験前のデッサン最後の3枚まで鉛筆の彩度が分からず下段続きで担当の先生から‘Hは白混ぜの彩度低い絵の具Bは彩度高めの絵の具だと思ったらいいよ’て言葉で

完成度が一気に上がり安定出来るようになりました。

また、どなたは自由な空気なのでお互いアドバイスを話し合える友達が作れるところもよかったと思いました。

S.Tさん

合格大学:東京藝術大学  工芸科

出身校:東京農業大学第一高等学校

『自分らしさを見つけて』

現役から一浪の半ばまでは自分のアイデアがつまらないと思うとなかなか描き始められなかったです。とはいえ思いつかないものは思いつかなくて、よく固まってしまっていました。しかしどばたで多くの人の作品に触れ、先生や友だちと話しているうちに、自分ではつまらないと感じた構成や色味でも他の人からすると案外そうでもないのかもと思うようになりました。アイデアが個性的でなくても、自分らしさ、その人にしか出せない色・形があります。
私がその事に気づけたのは、自己分析の大切さを教えていただいたからです。分析と反省を繰り返し、自分の武器を理解することで、以前よりも自分らしい画面が作れるようになったと思います。
どばたの先生方は私のいいところも弱点も理解したくさん向き合って下さいました。そんな先生方をはじめ、家族、友だち、応援してくださった全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。