彫刻科 2025

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Y.Aさん

合格大学:東京藝術大学 彫刻科

                    武蔵野美術大学 彫刻学科

出身校:高崎経済大学附属高等学校

すべてにありがとう

僕は中3からデッサンを始めて、地元の美術系の高校に進学し、どばたで2浪して合格しました。
高校時代は半分くらいコロナ禍で、どばたのオンライン講習会とかに参加していました。高校の授業では油絵、彫刻、美術史など学びました。この経験は今でも活きています。高校の先生方ありがとうございました。当時はデッサンが好きでとにかく沢山描きました。でも一次落ちでした。
1浪目は、東京の兄の家に居候して、どばたの前にバイトを入れていました。朝は弱い方なので身体にもメンタルにもきつくてやるべきではなかったかなと今は思います。寝不足と朝ご飯をしっかり食べないのはほんとに良くないです。デッサンも塑造も色々な課題があって、見方が増えて腕が上がりましたが、1次落ちでした。
2浪目は、実家から3時間くらいかけて通いました。実家の安心感に心にゆとりが出来ました。お母さんお父さんありがとう。バイトは日雇いにして最小限にしました。通学の移動時間に本を読んだり、どばたにある本を読み漁ったり、休みの日は美術館や博物館に行ったり、名画座に行ったりしていました。先人の創作物から興味があるものも無いものもとにかくなんでも吸収しました。その甲斐あってか、アイデア出しで困ることは無くなりました。夏は京都奈良大阪に仏像巡りに出ました。毎日どばただけだとみんなと差がなくなってきてしまうと思うので、新鮮で刺激的な旅は行って正解でした。20歳になったので成人式がありました。久しぶりに会うみんなが受験を応援してくれてラストスパートを乗り越えることが出来ました。
入試が終わってみて、僕は結構運が良かったなと思いました。すべてのことは果てしない相互関係によって成り立っているという考えを仏教用語で「縁起」と呼ぶそうです。だからほんとにどばたの先生含め全ての人に感謝です。ありがとうございます。

これを読む人はこれから受験をする人もいると思うので少し僕の経験から助言をさせて頂きたいと思います。
僕は1浪目は調子に乗って芸大しか受けませんでした。なるべく芸大一本だけ受けるとかではなく私大、中期、後期もしっかり受験して合格体験を積んだ方がいいです。
次に、知識でわかったと体験でわかったには雲泥の差があります。教わった色々な見方は、体感でわかったとなるまで毎度使ってください。そうすればプロセスや見方なんか無くたって何も考えずにできるようになるし、何年かぶりにおこなっても腕が落ちることはないです。何も知らない状態→やり方を知る→何も知らない状態が理想です。

最後に、これは宮崎駿さんの言葉なのですが、
「やらぬ後悔よりやる後悔」
この言葉は、自由度の高い構成で異端なことをやろうとしている時に何度も背中を押してくれました。僕も彼のように新しいことにどんどん挑戦しようと思います。
これから芸大を目指す全ての方に幸あれ。

 

見守り体験記:お母様

前向き2浪息子の親として見守り体験談

親として始めに...
信じて、応援して、見守って良かった!

どの子もそれぞれ個性を持っていて同じではありませんが、少しでも保護者の方々の参考になればと書かせていただきました。

3人子供のうち、藝大に合格したのは次男です。
同じお腹から産まれたのに、3人とも性格も進路も違います。
勉強に関しては、言えばやる子、言ってもやらない子、言わなくてもやる子と見事にわかれ、次男は言ってもやらない子でしたが、必要と自分で判断した時の集中力は凄くて高校受験前は成績が急上昇していました。
子育てでは、他人と比較しない、兄弟妹で比較しない、何かあった時しでかした時は必ず理由を聞く、出来る範囲ですがやりたい事をさせる、欲しいと言った本は必要なら買う、集中している時は出来るだけ中断しないようにするという事を気をつけていました。

小1から中3までスポーツをしていましたが、何とか芸術コースのある高校へ通うことができ、藝大を受験するに至りました。
現役生の時はコロナ禍だったので、群馬県から池袋まで通うのはかなりリスクがあり、夏休みや春休みにオンラインで頑張っていました。

芸術系に進みたいと言われてから、このままでは3人に好きな事をさせられないと、パートを辞めて正社員で働き始めました。

現役の時は東京造形大学には合格しましたが、東京藝大には行けずもう1年頑張る事になりました。
一浪目の1年、どばたから帰ってくるなりYouTubeでデッサンしてる人ばかり見てる息子に何回か言った事があるのですが、「目で見てやってる気になってもダメなんじゃない?手を動かさないと。」聞く耳を持って無かったと思います。
ただ、技術は現役の時より上達してると素人ながらわかりました。
そのせいか、藝大の一次で落ちてしまった時は何でだろう?だけでした。学科試験のように点数がわからないので余計に辛かったと思います。
この時、もし本人にやる気があるなら受かるまで応援し続けようと思っていました。

群馬県からどばたに通ってもう一年頑張ると意思を伝えてくれたので、応援する事にしました。
朝6時前にはお弁当を完成させ、帰りは遅いと23時半過ぎることも度々ありましたが、最寄駅まで往復一時間弱の送迎を約1年間しました。
睡眠時間が少なくなり仕事するのが辛くなりましたが、この車の中での息子と会話出来る時間は良かったと思ってます。

共通テストの前日にコロナに感染した時はどうしようかと一瞬焦りましたが、追試がある事を知り、親として出来る事は全てしました。
コロナ回復後に息子が「どばたに行くのが怖い」と言い始めた時は、もう受験辞めるのかと思いましたが時間をかけて本人に話を聞いてみると、「周りが上達しててその場で作業するのが怖くなる。試験を受けるのは怖くない、デッサンや塑造もやりたくない訳じゃない。1人で作業するなら大丈夫、あの場でやるのが怖い」と理由がわかりました。2年目のプレッシャーもあったんだと思います。
どばたの先生に相談して迅速に対応していただき、その後行ける様になり、先生方には大変感謝しています。

親のアドバイスはほとんど聞かない子ですが、一応「勉強はしないとね」は、たまに言いました。もちろん心の中では言っても無駄だと思ってますが、私が言わないと誰も言わないので親として言っておかないとと。

1人で何かを成し遂げる経験をさせたかったので、一浪目不合格の後の春休みに1から全て自分で計画して一人旅で自分を見つめつつ何かを得てもらえたらと伝えたら、見事に断られましたが、その後の三者面談で先生に「一人旅してみたら良いんじゃないか」と言われたら、あっさり行くことになりました。
この経験はとっても良かったと本人も私も思ってます。

群馬県は美術館や作品展が東京みたいに多くなく、積極的に自分から観に行かないと得られるものが得られないままで終わってしまいます。見たこと経験した事が全て作品へ繋がって行く事がこの1年で顕著に現れてた気がします。
受験生だからと勉強と技術向上だけでなく、美術館など五感で経験できるところにも行くべきだとわかりました。親としてはこの時間の使い方で良いのか不安でしたが...。
ちなみに二浪目の1年間は、美術館だけでなくTDLや映画鑑賞やジブリパークへも行きました。
往復の電車の中で読んだ本もかなり作品に影響を与えていたようです。

藝大2次試験では攻めた作品を造ったと話していましたが、現役生の時は造りたいと思ったものを形にする事ができない事もあったのに、この2年で成長したな〜と感慨深いものです。
前向き浪人バンザイ!!です。