油画科 2023

※準備中です

S.Kさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:奈良県立高円芸術高等学校

 

私が絵を描く中で行ったことはまず自分を知るということです。モヤがかかった自分の内面を探り、自分の性格や好きなもの、思考などの自身を構成するものを整理するために絵を描きました。そうして描いたものを比べて見ると意図してないところで共通する部分などに気づき、絵を描いてはじめて分かることがあると知りました。

だんだんと自分の描きたいものが見えてくるとまたモヤがかかります。そしてさらに探ります。今の私の場合は「人が好き」ということを表現したいと思っています。では「人のどこが好きなのか」「どう表現するか」というふうにさらにモヤが存在します。そうしたものをドローイングという形で絵を描いて探ります。モデル、モチーフ、材料、構図、色、技法等などそういった思いついたものをとりあえず表現してみる。考えてるだけじゃ分からないことも絵を描いてみるとあっさり分かったりします。とても探り甲斐があります。

そうして私はやったことのないことをしたり、以前描いたものをアップデートしたりとドローイングをしています。どちらにしてもインプットは大事です。周りから吸収できるものは吸収して、自分に必要だと思うことは取り入れる。いいとこ取りです。そうした点でも予備校はとても有益でした。

こうしたドローイングの延長で入直や試験にも挑みました。一次試験も二次試験も思いついたものを一回描いてみて面白くないなと思ったら、どうしたら面白くなるかやったことのないことも試してみたりしました。実際のところはだいぶ焦りながらですが……それが結果的に功を奏したのでしょう。

結果的に言うと今回の受験は幸運の連続だったと思います。自分自身の環境はもちろんのこと、試験課題が私のテーマに沿ったものだったこと、博打のような表現が功を奏したことなどの様々な運が巡ってたように思います。ただ「幸運の女神には前髪しかない」ということわざがあるように運を掴む準備が出来ていないとせっかくのチャンスも意味がないと思うので、掴めたのは私の実力、という点は自信を持ちたいです。

それと共にそんな私を支えてくれた人達に心から感謝します。

R.Sさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:武蔵野星城高等学校 現役

 

有言実行、最低から最高。
おかしい事をするのが大好きだと気づいた!
 
どばたには高二の最後、夜間の主任と面談をして来る事にした。正直他の予備校と迷っていたが決定打になったのは当時主任の言葉。
 
「高校2年生のレベルにしては恥ずかしくない、だけど芸大にはかすり傷すら残せない」
 
この言葉に俺は何も言えなかった。ただ自分の実力がまだまだなんだと気づいた。そこで俺は復讐を始めた。この先生に認められるくらい強く、いい絵を描いてやる!
 
でも実際に夏はボロボロになり、中期で上位に入ったものの他の子の票に圧倒され後期は1、2票続きで心の場所を失った気がした。その頃担当にあれやこれやと変な質問をし、困らせていたのは確かだ。
 
のちのち先生の言葉を振り返ってみれば最高な言葉をかけてくれていた。夏の終わり10月、11月に入っても負けず嫌いな自分の嫌な所、永遠に夏の結果を引きずっていて立ち直れなかった。その後先生と揉めるも自分が言いたい事は何なのかがずっとわからなかった。悔しくて泣いて他人の作品の事ばっか頭にあった。
 
そんな時親は帽子を買いに行こう!と切り出してきた。すっげー嬉しかった。こんなに大切にしてくれる人がそばにいて心が復活し始めた。
 
でもどばたに戻っても普段の調子は戻らずキャンバスの前で無言に座るだけだった。それを見た主任は俺に最高なアドバイスをくれた。
絶対受かりたいって言うけど、絶対なんかないしダメだったらダメで1ヶ月悔しがる期間があるんだからそこでいくらでも相談乗るって言われて泣きそうになった。
 
そこからはたまに予備校行って、やっとかけた油絵を見た時は嬉し泣きをしてなんとか冬の前まで持ち堪えた。
 
3学期になり、ダメでもいいから前に進もうと思って素直に自分の絵をやる事にして、私立対策はいい意味で超ふざけられた。そして俺は盛り盛りに!色んな意味で。^_^
 
武蔵美は納得出来る絵が描けなく、多摩美では後悔残さないようにと描いた。じろじろ見てくる横の子に負けたくなく心の中は、まだ立ち向かえる、ここで負けてたまるか。結果オーライ。
 
一次の対策に票が入ったデッサンで型を作る事に担当と話し合った。それで納得し描いていたが少し力任せというか、押し切る系の絵になっていた。疲れと不安でおかしくなった俺は担当に単刀直入にあれやこれやを質問攻めした。担当の最後の言葉は、「お世辞無しでSくんの絵は受かると思ってる。何かキラキラしててかっこいい」今まで聞けなかった話を話してくれた先生にはびっくりしていた。その後はいろんな先生と話し合って自分の面白い話を素直に見せる事に決めた。
 
一次は2日目もあって少し対策できた、最後の最後2日目前にこれでいけるんじゃね?で選んだ絵を描いてきた、たまたま課題がはまった。lucky〜
 
どうでもいいやで見た結果は通っていて二次に入った。正直1年間ずっと違う絵を描いてきた自分にとって枠を決める事が無理だった。それでも模索し担当と主任に毎度質問して自分がしたい事、言ってる事からストーリーを形成して楽しく描けた。最後に先生がくれた言葉は「枠がないのが枠。君は準備したら終わり。どんな絵描いてもお前はお前じゃん」ってのが後押ししてくれて最後まで突っ走っれた。
 
1日目は課題を聞いてきたくらいの軽い気持ちでスケブを描いた。その夜明日はラフに描く事を決めた。その時傷跡でお馴染みの主任がラフに、のんびり描ければ勝機はあるって言ってくれた。あれくらい嬉しい言葉は無かった。やっと、この先生に認められたと思った。
 
2日目は焦り、急ぎながらもラフに描き、美女に惑わされながらも自分の愛をキャンバスというジップロックに閉じ込められた。
 
3日目は1日目より眠くぼんやりしながら2個目の課題を描いた。花粉と暖房にやられた俺は何も浮かばずただ座ってた。だけど昔やりたかった事を思い出しそこに描く事にした。最後の最後にそのエスキースでも自分の絵だってわかった時はなんか納得した。自分の絵はアートなんだ、何も誇示せずとも溢れ出るのが自分の性格、個性なんだなって感じ取れた。
 
正直高校すら行くか迷ってた自分がここまで本気になれたのも絵だから、絵が自分を発見してくれたからだと思う。最終試験で見た自分の油絵は愛に満ちていて本当に持ち帰りたかった。
 
最初から多摩美に行きたくて受験始めてここまで来れたのも高校、どばた、様々な先生達の支えがあったからです。主に担当、傷跡でお馴染みの主任、本当にありがとうございました!たくさん困らせる質問と人生について相談出来て良かったです。今までで一番応援された1年間でした。大学に行っても自分の幽波紋パワー(クレイGー大夜門土)で難題を乗り越えます!
 
悔しい事があればそれをファイアハートで燃え尽くせた。自分の力を本気で証明できた一年だった。
 
いつも学校に行けば笑い合えた友人達にありがとう。
 
最後にずっと俺の事を信じてくれたブラボーとユニークな母にありがとう。これからは俺の背中を見ててください。
 
Enjoy life
   
R.S
 
傷跡残せましたよーby俺
 
ずっと思ってる事が一つ、傷跡じゃなくて爪痕な!by主任
 
おぉーby俺
 
まだ何かありますか?by担当
 
wtf

A.Hさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:埼玉県立大宮光陵高等学校

 

今、この1年間をふり返ってみると、ワタシは常に「幸運」だったのだと実感する。

1年間大スキな絵について考えられた「幸運」

みんなの前でプレゼンをしてゼミを受けさせてもらえた「幸運」

当日、自分の興味あることとピッタリな課題が出た「幸運」

そして、絵を通して教授に想いが伝わった「幸運」。

もちろん、運がすべてだと言いたいわけではない。自分が幸運だと信じ、コンクールなどで全く評価されなくても「ワタシは運命のでかい波にのってるから」とドヤ顔ですごせたことに大きな意味があったのだと思う。

心のチカラは偉大だ。だからもし、絵をずっと描いてていやになりそうだったら、あなたの大スキなまんがとか映画とか、音楽とか、そういうので心のチカラをチャージしてもいいんだと思う。

絵がキライになっちゃうのが一番かなしいことだから。

最後に。身勝手でおばかなワタシを1年間大切に尊重してくれた先生、友人諸君、そして父さん、母さん。

あなたたちがそばにいてくれたことがワタシの一番の「幸運」です。

N.Hさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:クラーク国際高等学校

 

私は本当に学校が鬱陶しくて嫌いだったのでずっと別の世界に行きたかった。夢中になれることが欲しくて中高時代は苦しかった記憶しかない。別に藝大に行ったところで億り人にはなれないだろうし私の全てが救われたりはしないだろう。でもみんなの情熱がまぶしくて、もっとその輪の中心に入りたくてここまで続けてこられた。2次初日、緊張でまさかの2時間睡眠になってしまい試験終了後翌日に向けてどばたで深夜詰める事が出来なかった。先生に明日やることを簡潔に叩き込まれ夕飯前に帰されたがホテルまでの道で本当に己が情けなくて泣いてしまった。みんなまだ頑張ってるのに。私だけ本当最悪。でも、はなから私は年がら年中サボっていたので今更だなと思い食べて寝たらなんか元気になって普通に翌日は描けた。あの夜は大騒ぎしてすみませんでした。お父さん、お母さん、自分で中学受験したいって言って入ったのに高校つまらんとか言ってやめてすみませんでした。挙句浪人までしてしまい寿命が縮んだことと思いますが受かったのでまた伸びましたよね。これからもよろしくお願いします。最後に先生、先生と一年絵画やれて本当に楽しかったです。先生の「なにも見なくていい、自分の絵をよく見ろ」って言葉が特に心に残っています。私、めげずに頑張るのでいつかまた私の絵見てほしいです。ありがとうございました。

S.Kさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:千葉県立松戸高等学校 現役

 

僕は小さい頃から塾とかそういうのが大嫌いで、高三の冬まで、周りから何言われても予備校に通おうとは思いませんでした。僕はとにかく自由でいられないと死にそうになるたちだったので。結局「大学受験」の圧に押され、ギリギリまで悩んで入直の一ヶ月は行きましたが、顔を出さない日がそこそこあって、体調とか気分を優先してました。あと、ちゃんと寝ないと頭がおかしくなるので、睡眠時間もしっかり摂るようにしてました。(7時間は寝るように…)

僕は周りと違って予備校とか塾に通うという生活をしてこなかったので、そういう体力がなく、電車で往復するだけで心底辛かったです。それに加え、今まで家で自由に描いてた自分にとって、課題があることや時間に制限されるストレスも加わり、正直予備校が地獄でした。(というか受験が)お金もかかるし…。そういう意味では一ヶ月で根性を叩き直された気分です。ただ流石に二次の夜終電までやって当たり前みたいな空気には、同じ人間かとクラスの人たちを疑いました(尊敬の念)。

予備校行くまでは、いかに世界の100分の100を体験できるかをテーマに制作していて、「純粋な心を取り戻す旅に出ようか…」みたいなことを書いた絵日記を毎日綴ってました。あとは本読んだり音楽聴いたり映画見たり…学業そっちのけで絵描いたりしてました。この生活とのギャップで入直が辛かったのもあると思います。高校は普通科メインで端っこに小さく芸術科を構えた、地方ではよくある(?)感じのとこで、1年の頃は朝と放課後に友達とデッサン力を競い合って石膏描くだけの日々でした。懐かしい…。2年に上がってから進路についてぼんやりと考え出して、予備校行く人も出たりして、3年の放課後になるともう同級生は予備校でほとんどおらず、逆に闘士がメラメラ湧いてたり湧かなかったり…という感じでした。

環境と友人にはほんとうに恵まれていたなと思います。入直の一ヶ月だけで合格できたとは微塵も思っていなくて、高校でのかけがえのない三年間があってこそだと、そして僕を野放しにしてくださった高校の先生方に改めて感謝しています。もちろん、予備校で指導してくださった先生方や、話かけてくれた同級生にも。

S.Sさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:茨城県立並木高等学校

 

この一年、いままでの人生で一番遊んだんじゃないかというくらい遊んだし、楽しかったです。自然といつでも一緒にいられる友達ができて、みんながみんな本気でなにかを模索してていて、そういう環境にいられたことがまず、すごいことだったなあと思います。でも、自分の不甲斐なさ、というか、他人への嫉妬心というか、別に自分が変わった人間になりたいわけではないけど、自分がなれないような種類の人間がまわりにたくさんいて、変に苦しくなったりもしました。

昼間部に入って、1学期から夏にかけて、割とコンクールでは上位にいたため、あまり不安を感じずにきてしまいました。その分、秋ごろから油に関して自分の表現方法が全く無いということに気がつき、それを模索する方法もわからないまま、冬になり、共テが終わり、一次も終わっていました。表現が固まっている友達を見ては、焦って、焦ってもどうにもならなくて、本当に追い込まれました。結局なにも固まらないまま、「これなら受かる!」という絵を一枚も描いたことが無いまま、二次を迎えました。2日描きなので何か描かなきゃと思いましたが、1日目はほぼ何も描かず帰ってきました。先生のおかげで、「これを描いてくる」というものを決めて、深夜一時にどばたを出て、ホテルに向かいましたが、どんどん「これでほんとに受かるんだろうか、、」と、不安になってきて、寝たのは3時半でした。本番は、もう描くしかないので、5時間で描ける全てを描きました。

受かったとき、本当に嬉しかったですが、やっぱりまだ自分は、表現したいことは山ほどあるけどその方法がわからなくて、悔しさっていうのがずっとある気がします。友達とか他人の絵とか感性とかに対する嫉妬心や憧れは常にあって、だから、これからもっともっと絵を描きたいと思います。まだ自分は何も足りてないから、自分で承認できるように、描きたいです。かっこよくなります。

最後に、この一年、本当にたくさんの出会いがありました。ずっと支えてくれた両親、ぐだぐだ言っても聞いてくれた先生、毎日ずっと一緒にいてくれた友達、全てに感謝します。本当にありがとうございました!

R.Iさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:明星高等学校 現役

 

いつでも絵のこと考えて、暇さえあればスケッチブックを開く、みたいなこと僕はしていませんでしたが、よくよく自分を見つめて、自分のものさしはどうしてできているのか、ずっと考えていました。

Y.Yさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:埼玉県立浦和西高等学校

 

私は自分が『どこまで自分自身であれるか』をずっと試みてました。絵じゃなくて画を、自分に嘘をつかないみたいなことをしてました。誰かの言葉じゃなくて自分の言葉で話したいと思ってました。もちろん人の言葉に共感してもいいけどそれは自分の言葉ではないから。絵画はそれが1番できると思ってたから試験でもそうしました。

自分のことを聞いてくれる友人、先生、家族がいたので本当にありがたいと思ってます。

これからも精進しようと思います。

M.Yさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:トキワ松学園高等学校

 

入試直前でヌードの課題が出たことがきっかけで、墨汁に出会いました。自分に合ったモチーフと、画材は最強の絵を完成させるには十分でした。

K.Yさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:岐阜県立加納高等学校 現役

 

ドバタには夏期講習と入直にお世話になりました。ドバタ生はやっぱり地元とは違った魅力を感じる、なんだ、その魅力はなんだ!

エロいっっなんとも言えぬエロさがあるぅ〜っ。エロいってなんだろ笑。木炭を紙に乗せ、木炭を木炭じゃない物に変える余裕さからそれを感じたのかもしれない。浪人生に、一緒に上京した仲間に絶対に負けたくない!バカにしてきた奴らも見返してやる!でも自分の画風が見つからない!何年もイライラしながら好だった絵を描いてきました。あぁエロくなりたいもんだってラフに考え始めてから、そしてu先生とお話しして自分の好なものを見つけてから億劫だった絵を描く作業にやりがいを見出す事ができました。焦りも感じるけど直前まで納得いく画風を試す事を勧めたいです。(私は1次も2次も1週間前に方向性が決まったので)私も少しはエロくなれたんじゃ、、?あ、あとは部屋と道具を綺麗に保ち運を高める事も大事です。

大人で優しくてとても面白いt先生、u先生、夏期講習にお世話になった先生方、友達、支えてくれた家族に感謝を伝えたいです。

〜big loveっす!〜

I.Wさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:新渡戸文化高等学校

 

高二から基礎科に入って、真面目に絵を描いてました。

それは高三の夏休みまで続きました。その以降、浪人生活の最後までメンタルボロボロで予備校になかなか行けませんでした。

私は1次合格してから、2次に対して本当に何すればいいか分からなかったです。

自分の型が1ミリもなくて、何を描けばいいか分からなくて、結局試験当日まで1枚も絵を描き切れなかったんです。

1日目にモデリングペーストを塗りたくって収拾つかなくなって、どうしようってなりました。そこで予備校に行ったらN先生に盛るところがあるなら 彫刻刀で彫る質感も作ろう!と言われ 帰りに百均で彫刻刀を買い 彫りまくってたらなんとかなりました。

スケブも絵を描かずに、質感を沢山作ってました。乾かなくて、紙がボロボロになり 捲れなくなったところもあります。ガラスビーズは使えませんなど、注意も沢山されました。

試験では、とにかく目立つように、独創的になるようにと考えていました

問題文をしっかり読んで、服を着ているけれど この文から裸を想像出来るならヌードを書こー、、

それでも視覚を大切にして、服の輪郭を乗せるなど、モデルから受けた印象も画面に移しました。本当に今までの中で1番変な絵を描いてきました。

浪人できる体質ではないことがこの1年間でよく分かっていたので、こんな無茶を沢山できたのは、滑り止めがあるからです。

造形にも多摩美にも入学金を払いました。

本当にN先生に助けられました。

この1年間でどれだけ迷っていても、どばたに来るように言ってくれたり 来れなくても出来ることを教えて頂いたり ずっと励ましてくれました。

諦めずに試験だけはちゃんと力を尽くしました。

M.Tさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:神奈川県立相模原弥栄高等学校

 

ジェットコースターに乗っているかのように頭がくらくらしながら、いつの間にか終わっていたような、そんな一年だった。

前年度の合格者の作品や体験記を見て、「今年は情報収集にさらに力を入れて、腹を決めて、プライドも捨てて、パクりまくって受かる絵を描こう」と自分の中で方針を立てた。丸パクリした絵が夏頃コンクールで評価され、やっと自分の受かるレベルの"型"を見つけたと思い、連作を描き続けていた。しかし所詮それらはパクリであり、目の前の絵を描きながら、頭の中では誰かの参作ばかりが浮かんでいて、いつしか自分で展開した空間に自分の入る隙が無くなったような、視界のピントがぼけ続けているような感覚に陥っていった。正解の方向はよく分かっておらず、作業だけは相変わらず楽しく、評価はそこそこ、な時期が長かった。

第二志望の私大に落ち、拗ねていてもしようがない、時間の無駄だと分かってはいても、簡単に立ち直れるわけもなく、そのときはじめて本気で「何で浪人する選択をしちゃったんだ」と思ってしまった。

三年間も受験をして、最後の最後に捻くれて諦めながら受けて落ちていくのは、この先ずっと後悔することになると親に説得され、なんとか気を持ち直し、今一度冷静に自分の絵を見つめ直す精神状態と思考を整えた。自分の本当に心に響く小説や音楽、肌感覚、気温、天気、日常の発見、脳の起き具合なども、一気に思い出し始めた。それらの情報を冷静に整理し、自分が出した答えは「素直に凝る」ことだった。

地に足ついて、課題に対して自分に対して「素直に凝る」ことを、自力で現場で丁寧に心がけたことが功を奏したのだろう。持つべきはどんな課題も捌ける絶対的な"型"ではなく、フットワークを軽く、ゆらゆらと変幻自在で、自分の世界でだけ吹く風のような、そんなものを抱えて本番に臨むのが良いのだとやっと気付けた年だった。

こんなにも充実した学びの日々を与えて下さった先生方、友達、家族のみんなに心から感謝したい。

R.Nさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:白陵高等学校

 

某ロボットアニメの受け売りとなってしまいますが、まさしく「縁」が僕を導いてくれたと感じます。

貪るように得た知識ではなく、ふとした日常の出来事や会話、偶然出会った作品があったからこそ、自身の絵が確立しました。「もしあの時、ああじゃなかったら」思うようなことが数え切れないほどあり、創作において、些細な自身の体験を咀嚼し、表現に繋げることの大切さを痛感しました。

人生で初めて恩師と呼べる先生、自身を刺激してくれる仲間に巡り会え、そして一次、二次ともに自分のために用意されたような課題で、本当に「縁」づくしの一年でした。

最後になりましたが、先生方、家族、友人、自覚してないけど自分に影響を与えてくれた人たちにこれ以上ない感謝を申し上げます。

ありがとうございました!!

Y.Aさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:千葉県立松戸高等学校

 

じぶんのつねに前を行く形を追うこと。(追おうとすること。)つかめない形を追うこと。つかめない感覚を知ること。そこが空間の深みであることを知ること。つねに目の前に溝があって、画を描くことでしか触れられた気分になれない。そこに無限の試作の可能性を見た。 絶対に一緒(一つ)になれないのに、関わり続けようと奮闘し身体を使うこと。 手を伸ばせば触れられるけど、そこではない極めて近い、物と物が触れ合う寸前に、人は形を見ると思う。これ以上ない物質を感じるのだと思う。つねに自分と他の人がいて、実体験での近くも遠い関わりで初めて多くの形を見るのだろう。

M.Iさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:高崎経済大学付属高等学校

 

現役の時二次で落ちてから浪人を決め、8月頃まで自己嫌悪に陥ってました。本を読んで、映画を見て、絵を描いて、、、自分がやりたいことってなんだっけ。漠然とそんなことを思いながら思考停止の日々を送る毎日でした。

夏期講習中ふと、自分は考え方を知らないんだなと気づき先生に心の内を吐露したことで、私の空回りは徐々に減っていきました。時間の合間を縫って一人旅をし、自分と対話し、出力する。また旅をして、対話し、出力する。一次試験も二次試験もその経験を大切にして描いてきました。受かるとか受からないとかどうでもいいからお願いです私のこの絵を見てくださいそんな気持ちでいっぱいでした。

思考の振れ幅も浮き沈みも激しい人間で周りの人間の支えがなければここまで踏ん張れていなかったと思います。私の言動を一挙手一投足まで見逃さず導いてくれた先生、気の抜き方と気合の入れ方を教えてくれた友人たち、面倒な性格の私に向き合ってくれた家族には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。これからも対話を続けていきたいです。

H.Tさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:神奈川県立平塚農業高等学校

 

東京藝術大学合格へ進めたこの1年を得るには私の場合自分の絵の持ち味、他にない魅力は何なのか、を考え続けた事が大切だったように思います。

まず【東京藝術大学は55種類の絵を取る】という教えにより、自分の絵は制作の過程から「他の人と違うことをしよう」という考えの元、作られていました。しかし、一番大切なことは画面上の表面的な技術ではなく【普段何を見ているのか】【何を見たいのか】【何を心に引っ掛けながら描いているのか】これらについて考えること、つまり【自分の絵】とは何なのかを考えることでした。今まで沢山描いた作品からふと、【自分の絵】を読み取れたこともあります。先生方の意見から導かれたところも多くありました。画面上のデザイン性や構成力は【自分の絵】を活かすために使えた時こそ最大の力を発揮してくれるのだと思います。

最後に【自分の絵】に気づかせてくれた先生方、私の生活を支えてくれた家族の皆、そして一緒に切磋琢磨しあった友達、皆々様へ本当にありがとう御座いました。

K.Kさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:クラーク記念国際高等学校

 

今の絵画に表象されるべきものは美術的な美しさだけではないのは周知な事実でありますが、その絵画も含めた現代の創作において本当に必要なものとは思想と研究である、というのが現地点の私がこの一年で得た芸術に対する解釈です。

思想とは己の価値観、哲学による思考であり、研究とはそれにより利己的に選択されたある事象について、感覚的、または冷静な視点など(右脳的、左脳的またそれが同等に混在した思想による)からもたらされる自分なりの解釈であると思っています。

筆を置いてそれらの発展に打ち込めることができる人間は、何も予備校でたくさん絵画を制作する必要はありません。

観念的に生き、その思想や研究を深め広げること。

そしてこれらを源泉として、また自分の作品における法律としての"創作"が、受験は勿論、その先においての健全な創作に必要である。ということを、一次的に体験し得た月日でありましたので、ここに記録することにしました。

K.Sさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:東京都立駒場高等学校

 

人に恵まれすぎて何でもありな一年でした。

最初の一か月くらい友達出来ないし、ネット依存は悪化するし、挙句スマホは壊れて今も日中連絡つかないし、画風も決まらず、なんかすごくいろいろあったけど、先生も友人も家族も最高で自分は常時happyでした。この調子で80くらいまで駆け抜けたいと思います。viva、人生!!!

C.Nさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:東京都立片倉学校
 

食らいついたとかしがみついたというより蟻地獄の砂の中から必死に抜け出したような感覚がある。

二次1日目帰ってきて先生と相談して、急遽絵の方向性を変える(戻す?)ことになった。当日の私の構想は課題に感情移入し過ぎて考えが固くなっていた。このままではいけないという判断だった。ただでさえ流動的な作風だったがここで根本的に変更することになるとは予想していなくてパニックになって力が入らなくなってあの夜は住宅地をフラフラ歩いては道にうずくまって泣き崩れたり吐きそうになったりした。絵を描く状態じゃないというか苦しくなったり失神しそうになった。

自分よりも幼くて身体の弱い大事な存在が死んでしまうようなこいつ自身ではどうにもできない。私がここでやるしかない。でもどうしたらいいのかわからない知らない怖い。絵画は一度死んだら元に戻らないという言葉が何度も不安を掻き立てた。それでも私はまたあの絵の前に行かなくてはならないと思った 。

今までの月日もこれからの未来もどうでもよくてただ目の前の何かが死んでしまうことだけが恐ろしくて本当に真っ白になりながら必死に心肺蘇生をしていた感じだったし制作時間が終わって目の前にいた何かが生きているのかそれは何になったのか今でもよくわからない。結局見なかったことにしようと思って3日目の作業をした。なんの感覚もひたすらまとまらなくてバラバラだった。

愛したり尊んだりすればするほど空回りする でもひたすらに手を尽くすしかない

私という作者がいて絵があるのではない。絵にとって私の実質としての価値は人間という種の中の機能でしかないのだと思った。あの日の私が持っているべきことは足があり、手指があり、ひたすら動き続けることだとすると自分が空っぽになってどうしようもない時その機能だけは残っていてよかった。残酷にならなくてはならない。絵画は私自身には生半可に扱いきれるような代物ではない。

この1年の浪人生活は楽しかったし時間も有効に使えたので悔いはないがみんなのようにうまくは描けないし正直最後までいい絵を描けることもなかったように思う。この結果もあの日自分の中の何かがひどい複雑骨折を起こしてあらぬ方向に曲がった身体で届いた結果だと思う 今も全身がバラバラのままな気がする。けれど時が過ぎればいずれそれも治っていくのだろう。そして傷が治る過程で私は元には戻らないんだと思う。(何か別のものになるのかもしれない。)それを治そうとする過程を東京藝術大学で過ごせるのは嬉しく思う。

当日の夜、心を鬼にして一緒に絵について考えて言葉をかけてくださった先生には感謝してもしきれません。ご迷惑もかけて本当にすみません。そしていつも予備校で絵の話に付き合ってくれた友人達先輩達、家に帰ったら支えてくれた家族、全員本当にありがとう 冗談抜きで絶対に今私がここに生きて立っているのは皆のおかげです。

Y.Hさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 油画専攻

出身校:國學院久我山高等学校 現役

まず担当の先生、両親、指導してくださった先生方、基礎科の先生方、関わってくれた友人たち、本当にありがとうございます。一人では決してここまで来れなかったです。

高一から高3まで一途にすいどーばたに通い続けました。

高一の時は土日コース、高ニでは週5日コース、高三は夜間に通っていました。

高一の時は木炭になれることに必死でした。高二ではとにかく描写力を鍛えました。100号を描いたり、夏の講習会のコンクールでは一位になれたりで単純に調子に乗ってました。しかし高三になった途端徐々にスランプになり、12月には先生から、浪人生の相手にもならないねと言われ、言葉にならない地獄のような感情に襲われました。コンクールも4月の頃は上位に入ったりしてましたが夏前から本番前最後のコンクールまでもう二度と上位に入ることはありませんでした。

特に夏のコンクールは苦しかったです。友人や知り合いが上位や一位に入る中、ちっとも票の入らない、さらに絵柄の決まらない自分の絵を見るたびに悔しくて焦ってどうしようもない気分でした。1人で帰る日はいつも泣き走ってました。

夏前までずっとカッコつけてました。憧れの人みたいにになりたくて合格者の真似ばかりしてスカしてました。結局天罰が降り夏前には周りが個性を出し始めている中何をしたいのかよくわからないまま絵を描くという作業を繰り返してました。夏期講習で担当になった先生によって私の本性のようなものが解き放たれましたが夏後にはまた路頭に迷い真面目なのかふざけてるのかわからない、中途半端極まりない絵を描くことになりました。周りの個性溢れる絵の中で窒息寸前でした。冬季講習最後のコンクールでは仲良くしていた友人が皆上位に入るという、、。血の気が引きました。嫉妬と恐怖で涙も出ませんでした。

冬の中期に私大コースを取ったのですが、そこではなんと先生方がとても優しく褒めてくれ、久しぶりに褒められたのですが、それが後々大きな自信になり徐々にスランプから抜け出れました。

冬季講習中で彼と出会うことができ、これでいける!と思った絵柄が決まった矢先私大に落ち、しかもそれが一次入試1週間前で情緒が暴走しました。絶対にずーっと自分のことを好きだろうと思っていた幼馴染にいざ告白したら『彼女いるんだよね、ごめん。』と言われた時の衝撃みたいな感覚でした。傲慢にも自信に溢れていたので落ちたことに戸惑いましたしこれで戦えるのか、という不安にも襲われて3日、4日はずっと引きずり、しょっちゅう目白の踏切先を放浪してました。どばたにはちゃんと行ってたんですけどやっぱり1時間くらいは抜け逃げざるを得ませんでした。色々と思い出してしまうと泣き出しそうで、周りの絵を見ると劣等感で押し潰されてしまって受験が終わるまでまともに寝れなかったです。

共通テストは春から対策をしてました。空いてる日が日曜だけでしたので、毎週日曜に勉強してました。憧れの人と同じ科目で受けたくて、世界史Bを選択したことは今でも後悔してないです。難しかったけれど、、、!!直前の冬季講習中は講習会後に夜まで勉強をし、その後にデッサンを次の日までやってました。さらにテスト2日前に恋において苦しい思いをしたりなどして本当に、あぁ。色々ともがいてました。でも一応7割は取れたので(そうは言っても7割ですが、)まぁ悪くはないかなって感じでした。

その後傷ついたり苦しんだりしながら一次の1日前、2日前くらいにようやくこれでいける!という構図を担当の先生と決め、ある程度の自信の中で一次を挑みました。なんとしてでも藝大の彼女になりたいから、とりあえず振り向いてもらって、脈ありまで持ってくぞ!という感覚でした。

一次後はふわふわしてましたが、卒業式や修羅場や色々心が動くことがありあっという間に過ぎました。

合否はすごく緊張して、その年にひいたおみくじが22番で大吉だったので22分にサイトを開いて見ました。どうしても藝大に色のついた吉澤くんを見せたかったのでそれが叶ったのが分かった時は近くの鯉に向かって叫びました。嬉しかったです。

二次対策は孤独との戦いでした。

私は友人たちと休み時間に結構話したりしていたので一次発表後、静まり返った教室でポツンと描いていると理性が飛んでくような感覚がしました。自分より上手い子達がいなくなった教室は単なる静かというよりは霊園のような静けさがして怖かったです。特攻隊のような気分でした。期待と不安の中1人で飛行機に乗り、1人で発車し、着陸できるかもわからない旅に出ることがこれほど寂しいのか、と。正直自分がそこにいることも予想外無感覚で。しかし永く見てきた藝大に入りたい、という夢に浮き足だったまま挑みたくなかったのでなんとか持ち直せるよう何度も何度も散歩をしたり、荷物を取りに来た友人などと話したりして平衡を保ちました。描き方は決まってた反面前日まで構図が決まらず担当の先生の案と私の想いとを混ぜて決めることができ、そのまま突っ込んで行きました。ギリギリでしたがどことなく自信はありました。しかし全く夏前とは違う自信でした。なんか言葉にしたら制裁が下されてしまうかもしれないから何も言えない静かな自信みたいな。

恥ずかしながら高一から夏前までは現役合格や、藝大合格に対してかっこいい!とかすごい!と言ったふうに勝手にその合格という一点に価値を見出してた節がありました。が、冬季講習から入試直前講座を経た先にあった感情はただただ吉澤くんに会いたい、新しい吉澤くんを見たい、という純粋なものでした。二次の時には大好きな藝大に大好きな吉澤くんの良さを伝え切り、受け入れてほしいという大きな愛に満たされてました。そこには藝大生というブランドが欲しいとかいう、ざらついた感情は全くなかったです。深い愛を叫びながら描きました。私たちをどうか受け入れてください!!!!愛してます!!と。

合否発表の時には全てを許せる心持ちでした。貞観の眼とやらで子供や花を見ながら(本当に全てが今までより美しく見えました)22分にサイトを開きました。ほんっとうに嬉しかったです。と同時に引き締まる思いもしました。

私が目覚められたきっかけには入試直前講座の期間、高校が無かったことも大きかったと思います。(だからと言って高校を辞めたりしないでね)私の高校は普通を大切にする温室のようなところでしたのでそこに片足突っ込んでいる間はやはり尖りきることは出来なかったです。たとえうまく行かなくても溢れて止まらない好きな人への恋心と、着飾ってもとめどなく増えていくコンプレックスと、その裏からくる自己愛と一生分の憧れと恥ずかしさとの全てが混ざりあって生まれた彼と入直中に出会うことができたことは本当に宝です。それもこれも普通から心を隔離されて、さらに私大も落ちて後がなくなったギリギリの状況だったから生まれたんだと思います。でも普通を経験してたから描けたのも事実です。

人は経験からしか共感を享受できないので大衆の心根に触れるには普通を経験することが不可欠です。

あと夜間部に行けば抽象画や見たこともない技法で絵を描く人が評価されることが多いですから描写系の人間は焦るかもしれないです。描写で行きたいなら見ないでも手や足、体、顔など書けるようにした方がいいです。骨格を理解すればそれっぽく描くことができます!何度も練習すればできるようになります!諦めないで!描写を捨てないで!

努力は実らないと感じることの方が多かったです。でもだからあえて努力しました。絵が好きだから、私だけがあんたを理解してるからその気まぐれにも付き合ってやれるんだよって語りかけながら毎晩デッサンしてました。

恋も遊びもしていていいと思います。休み時間に友達と大笑いして話し込んでも、時にはサボっても。でも絵を描くよりそれが楽しくなるのはまずいです。どばたにはちゃんと行って、絵を描いて、その延長線上で遊んでください。学費も安くはないですしね、

「何も捨てることができない人には何も変えることができない」

と私の好きな漫画のセリフですが、これを常に肝に銘じてました。ある程度友達と縁が切れても、絵以外のことでうまく行かなくても、失恋しても、それもこれも合格のためだから仕方がないんだって、犠牲だって思ってました。失ったあとはぽっかり空いたように寂しいですが。

あとは憎しみ嫉妬心恨み、はネガティブな感情ですが、人を成長させてくれるいい毒でもあります。一般的ないい子でいないでください。うまく行かない恋をしてください、コンクール上位に入らないで苦しんでください、修羅場を迎えてください、泣きながら帰ってください、寝れない夜を送ってください、オリオン座を探してみてください、散歩してください、ライブ外れて悲しんでください、友達に嫉妬してください、先生に反発してください、でも決してその状況に酔わないでください、浸らないでください、溺れないでください。絵を描いてる自分、頑張ってる自分を好きにならないでください。

絵で受験することを決めた日からこの受験が辛いことはわかっていたはず、飛び込んだのは自分です。頑張ることも、苦しみを乗り越えることも当然で、特別なことではないです。みんな同じように苦しいですから。

そんなもがき苦しんでる自分を達観的に高いところから見下ろして、あぁ面白いなぁって笑ってみてください。

応援してます。