日本画科 2022

2022年は準備中です

原田 つぐみさん

神奈川県
桐光学園高等学校

合格大学:
東京藝術大学 絵画科 日本画専攻
多摩美術大学 絵画学科 日本画専攻
武蔵野美術大学 造形学部 日本画学科

「自分を知ること」

私は高校一年生の冬からすいどーばたでお世話になりました。

始めの頃はただひたすら楽しくて、上手い仲間達や参考作品に早く追いつこうとがむしゃらに描いていたように思います。
しかし絵を描く事の奥深さに触れるにつれて段々と自分が目指す頂が途方も無く遠いように感じられ、先が見えない不安から行き詰まりを感じる事が増えていきました。
一浪の頃には小手先の技術や順位に囚われ過ぎて完全に自分の絵を見失い、焦ってちゃんと問題と向き合えないまま数だけこなすようになってしまい、どんどん苦しくなっていく負のループに陥っていっていました。

この状況から抜け出すために、私には自分に合った絵との向き合い方を見つける必要がありました。

機械的に練習しても上達しない事はわかっていたので、兎に角量より質を大切にしてコツコツと地道に確実に積み重ねて行くことを意識しました。
どうしても描けないときは少し休んで先生に言われたことを整理したり、定期的に研究をする時間を設けるようにしました。

また制作の時に自分が一番気持ちよく絵を描けるように、メンタル面の強化も徹底しました。私はよく他の人と比べて勝手に落ち込んでしまうタイプなので、極力過去の自分と比較しながら、周りの人の絵を気にしすぎないようにしていました。

そして普段私が良いなと感じる色味、絵柄等、色んな方面から自分の好きをどんどん詰め込み、受験絵画ではなく"自分の絵"を描くように意識していくと、段々と肩の力が抜けて楽しくなっていきました。

2浪目で自分に合った向き合い方を知ることが出来てからはそれまでよりも前向きに絵をかけるようになり、少しずつ絵も良くなっていきました。

技術を磨くことは勿論とても大切ですが、それと同じくらい自分自身と向き合い、知る事も大切なんだと浪人生活を通して学ぶことが出来ました。

こうした学びを得られる機会をくれた両親には感謝してもしきれません。そして私をいつも側で応援し、笑顔にさせてくれた弟たち、呑み込みの悪い私を最後まで導いてくれた先生方、切磋琢磨した仲間たち、周りの皆さんの支えがなければ頑張り続けることは出来ませんでした。

本当に、ありがとうございました。

岡庭 あこさん

東京都
お茶の水女子大学附属高校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
多摩美術大学美術学部絵画学科日本画専攻
武蔵野美術大学造形学部日本画学科

描かない時間が気付きをくれた

すいどーばたには基礎科からお世話になりました。高校入学時から美大に行こうと考えていたのですが、東京芸大を視野に入れ始めたのは高2の時です。どばたの洗練された参考作品や美術に造詣の深い先生方、それにハイレベルな生徒たちのいる環境に、より高い目標を目指す意欲を引き出されました。

受験科に移り、現役や一浪の間は淡々と課題をこなし、二回とも二次で失敗はあったものの、ゆるやかながら安定して成長できていたと思います。

二浪目に入って制作への態度は力みが入り、観察した情報を描くのではなく、狭い頭の中で作った絵の型に当てはめるようにモチーフを描いていました。そこで、周囲の勧めもあって数週間どばたを休み、絵から完全に離れました。休みの間は庭園や自然の観光名所を見て回りました。絵を描くために見るわけでは無い景色はこんなに気楽なものなのか、と驚き、同時に自分がどれだけ手本や知識に乗っとるやり方に合わせようとして、感覚に馴染まないことをしていたかが分かり始めました。

休み明けの制作ではテンポは悪くやる気は散漫なものの、その分注意点やタスクで埋まっていた頭の強張りがほどけ、ただ見て描くだけの自然体になれました。意識せずともこなせるほどに身に馴染んだ見方がわかり、それが自分の特徴で、それをこれから磨く絵の魅力の方向性にしようと思いました。絵の魅力は自身の感性で作り、理屈は長所のみではカバーしきれない欠点を補うもの。この意味が腑に落ちました。停滞に思える休みは、制作について考え直すきっかけとなりました。

この気付きを得た後は、自身の得手不得手の理解を深め、観察で描くところと知識で補うところで対策を変えました。先生とも話し合い、客観と自己評価の誤差を縮め対策の精度を高めるようにしました。授業時間以外では、参考作品を使って理想的な構図の傾向を調べたり、時間制限なしに精密着彩をして観察をじっくりする姿勢を思い出たりしました。

二月には私大を受け、そこで試験本番に上擦らず100%の力を出すには、平生の制作を本番の環境に近づける必要があると強く感じました。今まで芸大の二次試験では毎年空気に飲まれ気味で満足した絵が描けませんでした。そのため、二浪の冬からは、力をつけるためよりも、本番で平生の状態を保つための授業時間を過ごしました。制作時間厳守、鉛筆の本数や長さの管理、絵の具を常に溶きやすい量に保つ、講評ノートの見直し頻度を上げ自身の絵の状態を把握する等々。その甲斐あってか二浪の試験では落ち着いた気持ちで制作ができました。

こうして思い返すと一浪まではとにかく授業で学んだことを収集し、二浪ではそれを自分の中に落とし込む、そんな受験生活でした。予備校で学ぶのは受験絵画です。それでも、大学やその先へと続く自分の絵の一部でもあります。知識も授業も自分の絵のためにあるもので、試験が関係しても絵は理屈に囚われるものではない、今はそう思います。

最後になりましたが今まで支えてくださった先生方、友達、そして家族に、心からの感謝を申しあげます。すいどーばたで得たことを糧に精進してまいりますので、どうかこれからも見守っていてください。

藤村 栞さん

東京都
都立文京高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

「感謝」

自分の受験生活での葛藤や苦悩、絵についての考えを文章に起こそうかと考えてはみたものの、恥ずかしい気持ちが勝ちうまく書き起こせなかったので、ただただ感謝の気持ちを記そうと思います。

まず最初に、家族。
絵の道を目指したいと言った私に父がかけた言葉は『いくら浪人してもいいから、美大に行くなら藝大しかダメだ』でした。どこかの美大に行ければな、と浪人の覚悟なんて全くしていなかった私は、この言葉が無ければ自分が絵に対してどれだけの意志を持てているのかも分からず、本気で藝大を目指すことは出来ていなかったと思います。
この言葉を最初にかけてくれたこと。それから、現役から三浪まで藝大1本で受験してきた私を、落ち込んでいる時も、結果が出せた時も、様々な方法で寄り添い、沢山支えてくれた両親には感謝しかありません。

次に、先生方。
現役も浪人時代も、何度質問に伺っても嫌な顔ひとつせず、私の絵をしっかりと分析し、的確なアドバイスと共に着実にステップアップ出来るよう指導して下さいました。
普通科高校に通い、受験絵画の事を何も分からないまま体験に来た私に『ぜひ藝大に』と、この世界に足を踏み入れるきっかけをくれたのもどばたの先生です。本当にありがとうございます。

また、古くからの友人たち。
私が落ち込んでいたら駆けつけ、気分転換に連れ出してくれた。栞の描く絵が好きだ、と周りに私の話をしてくれていた。試験直前に家まで出向き応援のメッセージをくれた。具体例を上げるとキリがありません。現役から数えて4年間、呆れることなくずっとずっと応援してくれてありがとう。

最後に、どばたの友人たちにも心の底から感謝を。
互いに高め合い切磋琢磨できていなければ、自分の考えも上手くまとめられず、モチベーションの維持に繋がっていなかったと思います。どばたでみんなと出会えて良かった。みんながいたから楽しかった。大事な友人であり、これからもこの縁は切りたくないです。

周りの人に恵まれ、沢山支えられていると改めて気づけた受験生活でした。
これからも周りへの感謝を忘れず、全力で絵と向き合い、精進します。

石井 詩織さん

岡山県
私立清心女子高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

「現実が希望」

私は母子家庭で育ち、経済的に苦しかったので、大学に行くため5年間働いていました。
5年の内、3年間はどばたの通信教育をしていました。仕事以外の時間は絵に費やし、忙しかったですが充実していました。課題数が少ないことや直接指導が受けられないことに焦りがありましたが与えられた課題を丁寧にこなしました。
昼間部に通えるようになってからは思い切り努力しました。努力できる事をとても幸せに思いました。先生と共に絵を考え、自分の絵がどうあったらいいか模索していきました。次第にかっこいい絵だね!と言われるようになりました。それは自分でも予想外のことで嬉しかったですし、絵を通して自分が少しずつ分かっていく感覚がありました。コンクールでも結果を残せるようになり、試験直前の芸大模試では着彩で初めてB°を取ることができ、自信になりました。
しかし藝大の試験は甘くありませんでした。2次試験、初日の終わりとしてはこの1年で一番デッサンが出来ていませんでした。あれだけ努力したのに、目の前で、しかも自分の手で大きなチャンスを台無しにしてしまったかもしれない恐怖と不安から、体調を崩し、どばたに帰って先生方に助けていただきました。あまりに辛く、今でも自分の中で整理出来ない部分もありますが、ボロボロだった私を見捨てずにいてくれた先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。先生方と話すうちに自分の考えの間違いの源に気づく瞬間があり、少しずつ前向きな自分を取り戻すことが出来ました。いくつかの戦略と先生の言葉を胸に、二日目に挑みました。
二日目は計画通りに進み、自分の絵に希望を持って自由な気持ちで描くことが出来ました。最後は、この2日間の色んなドラマが詰まった自分らしい絵になったと思います。

私の受験は、お金を稼ぐことから始まり、いつも苦しい現実の中に絵で希望を見いだすしかなかったけれど、それが人にはない力になったと思います。これまでのこと、何か一つでも違えば合格できなかったように思います。努力と恵まれた環境にいれた運が合格に結びついたのだと思います。
さいごに、高3の秋に美術部でもなかった私をデッサンコンクールに誘ってくれて、世界の広さを教えてくれた美術の先生にとても感謝します。また遠くから支えてくれた弟と親友、応援してくださったどばたの先生方、助手さんには本当に感謝してもしきれないです。
素晴らしい経験をありとうございました。

藤宮 初音さん

東京都
都立上水高校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
多摩美術大学美術学部絵画科日本画専攻合格

自分の意思を大切に

三浪から2年間どばたでお世話になりました。
色々なタイプの絵があって多分ずっと迷っていたけれど藝大の教授も言うように合格する絵の正解は一つじゃないから
自分が良いと思った事が正しくて、それに向かって突き進んで、その良いと思った事が他人に伝わればそれが正解になるんだ、と思い日々制作していました。
夏終わった頃くらいから徐々に自分の絵のスタイルを確立させてそこから推敲を重ねるかんじでした。

本番では、モチーフはすでに美しいものだからモチーフの良さを生かすように組みました。
理論は体の感覚として染み込んでいるから、本番で頭でっかちにならないように、頭の中を空っぽにして目の前のモチーフに集中して心を動かすことを意識しました。主観と客観を繰り返しながら描きました。
試験会場の場に流されるのは良くないけれどその場の流れに乗るというか、臨機応変にその場を楽しむことは大事かなと思います。

発表までの間は気持ちが不安定になることをありましたが、発表の直前になると自然と不安よりも早く結果が知りたい、というワクワクに近い感覚でした、今年で最後だったので合格できて本当に良かったです。
早く日本画が描きたいです!

阿部 れいなさん

埼玉県
埼玉県立大宮光陵高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

芸大受験を終えて

私は大宮光陵高校の美術科に通っていた時に初めて日本画に触れました。古来の独特な表現技法や絵の具の色鮮やかさに感動し、大学でも続けて勉強したいと思い、高校2年の冬に藝大進学を志しました。倍率15倍という狭き門ですが、それ故に志願する人達のレベルも高く、すいどーばた美術学院で過ごした三年間は非常に充実した時間だったと思っています。
 現役、一浪時に一次で落ちてしまった時は本当にショックで、もう諦めた方がいいんじゃないかと感じました。先生方からも受かる実力はあるはずなのにと言われて、自分が落ちた理由が分からず、気持ちばかりが落ち込む日々を過ごしていました。今思うと、試験本番にいつも通りに描く事の大切さを忘れて、焦燥のまま手を動かしていた事が一番の敗因でした。
それでも自分に残された道は絵を描く事しかなかったので、出来るだけ受験には感情を持ち出さないようにして、ただひたすら予備校に通いがむしゃらに描き、経験枚数を重ねていきました。
 試験対策で特に意識したのは、絵の違和感を見つける力を伸ばすことです。違和感とは、具体的に言えば鉛筆素描では石膏像の形、静物着彩は構図や物の不自然さです。講評時、指摘されるポイントを先に自分で予想して、新しい見方があればすぐに取り入れて先生方の審美眼との擦り合わせをしました。また、他人の絵の講評中も、何となく自分が講評するならどうするかを考えていました。二浪で受けた試験では、自分の目を信じて冷静な判断が出来たから成功したのだと思います。
 私の進路希望を聞いた時に、快く承諾して今まで支えてくれた家族、応援してくれた友人、お世話になった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。大学でも引き続き貪欲に美術を学ぼうと思います。

神戸 南奈さん

広島県
尾道北高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

意識の変化と絵を楽しむ

私は今までの人生であまり努力というものをしたことがありませんでした。そこで浪人を決めた時に、藝大受験をするということで自分の限界への挑戦と、しっかり努力することを心に決めました。
広島のかなり田舎から来た私は初めは何をどう描けばいいかなど全くわからない状態でしたが、先生方の指導に刺激を受け、それをとにかく自分なりに噛み砕いて考えまくることで段々受験絵画がどういうものなのかを感じとっていきました。しっかり絵を学び、絵について考えるということは、それだけに詳しくなるのではなく、人生観やものの見方、感じ方が少しずつ変わり、広がっていくということでもあると思います。絵を通じて人生や人間を学んでいくようでとても楽しかったです。また、自分の意識が変化すればそれが絵に反映されるのも絵の面白いところだな~と思いました。
絵を描くときは、ざっくり言うといつも幼稚園児のような心意気で、一応色々考えながらもただ紙にべたべたと自分の思うままに描いていました。いつも自分が楽しく描けることを最優先に置いていた感じです。私は予定調和が好きではなく、絵を常に新鮮で楽しく描くために、結局本番まで描き順を決めず(1,2個自分ルールはあったけれど)、いつも好きなところから描いたり塗ったりしていました。危険だと思われると思いますが、描き方に縛られて絵が楽しくなくなるよりは良いかな···と。本番でもすごく自信があったわけではないけれど、いつも通りに楽しく描ききれました。個人的に絵を描くときは、過信にならない程度の自信と自分の絵への疑いを半々にして、楽しんで描くのが一番かなと思っています。コンクールの順位も最
後まで全然と言っていい程上がらなかったし、もちろん行き詰まる時も沢山ありましたが、藝大の出す動画を見たり、家で自分に合った練習をしたり、色々な先生方に同じ質問をしたりして自分なりに解決法を探りました。今思えばそういう時間も結構楽しんでいた気がします。
最後に、この受験はすいどーばたの先生方や両親、友人に支えられて叶えられたことです。また、私の合格を私以上に喜んでくれたことが何より嬉しかったです。本当にありがとうございました!

宮嶋 森羅さん

東京都
都立総合芸術高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

辛いこともいっぱいあったけど嬉しいことも同じだけあった

私は4浪しました。1浪2浪の時はただそこに置いてあるモチーフをそのまま描ければいいと思っていてがむしゃらに見た形見た色を描きこんでいました。よく言えば自然な、悪く言うと面白みの無い絵を描いていました。特に3浪目は経済的理由や家族とのトラブルが大きくなり、心に全く余裕がなくイライラ焦って早く受かる絵を描けるようにならなきゃという思いが強くなり機械的に絵を描いていたように思います。3浪は2次試験にも行き、キッチリ描き終わったと感じていましたが結果は不合格。
4浪になり3浪で合格していった友人達の作品を見た時、「綺麗」とか「面白い」という感想が浮かび自分には作品を描く時に「自分自身が楽しむこと」、「その思いを相手に伝えようとする意識」が足りなかったんだとそこで明確に分かりました。そこからはコンクール順位が振るわなかったり嫌なことも沢山ありましたが制作をする時は楽しく魅力的な絵を描くことを常に大切にしながら描いていました。4浪目の2次試験では幸いな事に自分の得意なモチーフが出題され藝大の綺麗な光の中で楽しんで描くことができました。制作最後には「あ、この絵めちゃくちゃ綺麗だな!!」と自分自身で思える絵を残すことができ、受験はこれで終わりにしようと思っていたので最後にいい絵が描けたと嬉しく思いました。
正直浪人生活は本当に辛くていつもめそめそ泣いていましたが同じ道を目指し絵を描いてきた友人達がいた事、苦しいながらも支援してくれた親、そして私が辛くて泣いている時にいつも優しく話を聞いてくれた講師の先生がいたからこそここまでやってこられました。どばたでの出会いは今の自分を形作ってくれています。随分長くいたこのどばたには本当の家族のように優しい人たちが沢山いて、いつでもここに帰ってきたいなと感じます。今までありがとうございました。お世話になった方たちに百万の感謝を。

竹石 楓さん

新潟県
長岡高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
武蔵野美術大学 日本画学科
多摩美術大学 絵画学科日本画専攻

自ら恃む

半ば衝動的に、藝大を目指すと決めたのは高3の春でした。
現役時代は普通科の高校に通いながら地元の画塾に通っていましたが、周りに藝大や日本画科を目指している生徒がほとんど居なかったため、上達に限界を感じていました。その年は一次に通過し、ふわふわした気持ちのまま受けた二次で呆気なく落ちます。
まあこんなもんか、と大してショックを受けることもなく、どばたでの浪人生活が始まりました。
1浪はとにかく苦しい一年でした。コンクールの順位はほとんど下から数えた方が早いくらいで、やみくもにテクニックと理詰めに走って道を見失い、冬には、その年に受かることをほとんど諦めてしまっていました。諦めて吹っ切れたのか、そこから巻き返して一次通過。しかしやはり、二次試験を通過することはできませんでした。
私に足りないものは何だろう。体験記を読みながら、担任の先生方と面談しながら、ぼんやり考えました。
モチーフを見たときの感動を大切にすること。自然に描くこと。審美眼を養うこと。入ってくる言葉、そのどれも、すぐには理解できなかったのですが、とりあえずやってみることにしました。
自分の感覚を信じてみる。かっこいいな、光が良いな、色の響き合いが綺麗だな、そう感じる位置に座って描く。そう感じるようにモチーフを構成してみる。
最初は不安でしたが、感覚に従ってみたら上手くいきました。自分が気持ちよく描いて、先生からも褒められる。そうやって枚数を重ねていくうちに、自信がつきました。自力で絵の状態の良し悪しがわかるようになり、コンクールの順位が上がり、絵を描くことが楽しくなりました。もちろん、伸び悩んだり、持っている技術の拙さに悩んだこともあります。そんな時は、小一時間散歩して頭を空っぽにしてから、家で自主課題として描写の練習をしたり、講評ノートを分析して、冷静に自分の状況を把握するように努めました。
一次試験、試験室に入ると3体のジョルジョがケルベロスの如く佇んでいました。当たったのは逆光位置。すごく鈍くて、その鈍さを美しいと感じました。美しいと思えるなら描けるはず、そう直感的に思いました。
なんとか通過して、二次試験。モチーフを見たときの印象は「普通だな、描いたことあるものばっかり」。なのでいつも通り描くだけでした。ものを描くことで空間が見えて、その空間の中にものが在る。そしてそのものの美しさが自然に見えてくる、そんな絵を目指しました。
結局のところはバランスなのかなと思います。無駄にしたように思えた1浪も、その時苦しんで悩んで叩き込んだ理屈が、2浪で掴んだ感覚的な仕事を支えてくれました。「見たまま描きなさい」というのはシンプルですが、あえて難しく言うなら、「あなたはどのように物を(世界を)認識していますか」という問いです。方法論無しで客観的にリアルに描くのは難しいですが、方法論だけでは認識している現実に追いつくことができません。主観と客観、そのバランスが取れた時にはじめて、ただシンプルに、自然に、見たまま描けるという状態になれると思います。
最後になりましたが、ずっと私のことを信じていてくれた家族、厳しく丁寧に指導してくださった先生方、そして、時に背中を追い、時に高めあい、時に笑いあった友人たちに、心の底から感謝します。
本当にありがとうございました。

関根 菜々子さん

東京都
女子美術大学付属高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

すべて

思えば8年経っていた。あの全然上がらない踏切の道を8年も通っていた。
中学生コースから基礎科、夜間部、昼間部、いつどの時代の先生にも頭が上がらない。私はいい生徒ではなかった。そんな私でも見捨てずに向き合って注意してくれたり話を聞いてくれたり悩みを理解してくれようとした日本画の先生達。今までのどの学校の先生よりも先生だったけど友達のようだった。
いつも白象紙を買いに行くあーるも8年も通えば私の大事な話を聞いてくれる場所だった。
電話する度に私の事を覚えてたであろう受付の職員さん達も昼間部で浪人してた頃には名前も顔も覚えてた。
4年も浪人すればほぼ毎日会う顔行く場所で、大事な大事な仲間達がいる場所だった。本当に大好きだ。現役の時に落ちて全員で泣いた日を4浪で受かって泣いた時に思い出した。
あまりにも同い年の浪人仲間への感情は熱すぎて上手く表せないけど中高の友達ともまた違うし、ライバルなどと言う前にみんなの絵が好きだった。お互いに葛藤とか悩みを共有してるからこそ彼らが頑張って描いた受験絵はとても綺麗に見えていた。
あまりにも長くあの場所にいすぎた。多分私の第2の家だったと思う。全ての感情も思い出も頑張りも葛藤も全部あの場所に眠っている。
私のすべて。

山崎 耕さん

東京都
都立総合芸術高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

積み上げ

現役の冬季講習から1浪の夏期講習が終わるまで
スランプのような状態で、抜け出してから半年くらい地道に枚数を積み重ねて合格しました。
このスランプのような時期は絵がまともに終わらないとか、描き方が定まっていないとかで、不安定極まりなく、時間の浪費感が強かったです。
安定感が欲しすぎて、制作中も制作時間外も無心を心がけ、言われた事や思った事を考えこまないようにしていたら、上手くスランプを抜け出せました。
本番までの6ヶ月ほどその状態を保ち、その間に強みや失敗パターンがいくつか見つかり、そのまま本番に臨みました。
一次はいつもよりペースが遅くなりましたがどうにか終わらせました。
二次では自分の強みは出せたけど弱みも普通に出たというすごくいつも通りの内容になり、80点くらいの出来栄えでした。
でもどばたでも100〜120%描けたと思えた事はなかったので、それで良かったんだと思います。
普段70〜80%しか出ない人は本番もそれくらいしか出ないし、もし120%かけた気がしてもそれは多分勘違いなんだと思います。
だから本番で急に本気出すとか、意識する事を一気に増やすとか、いつもより上手くやろうとかしないでいいように、いつも通りでいいと本番でも思えるように意識してどばたで地道に積み上げるのがいいんだと思います。

佐藤 美花さん

東京都
都立総合芸術高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

受かるまで

高校生の頃から自分と向き合うのが苦手で、自分の作品制作でもよく悩んだりしていました。
現役の予備校通い始めの頃は卒業制作で悩みすぎて、逆に受験絵画の方が気持ちが楽に感じていた事もありました。
浪人してからは考えることが受験絵画だけになって、目の前に答えはあるのに、何故そのまま描くことが出来ないのか、頭の中の自分のイメージをどうしてそのまま紙に反映できないんだろう、とずっと苦しんでいました。
二浪目になってもやはり悩みは尽きなかったですが、前の年と同じメンタルでは予備校に行けなくなってしまうと思い、どう自分をコントロールするか考えるようになりました。
行きたくない時はジュースやお菓子を買って歩きながら食べたり、予備校の後に何か楽しい息抜きの予定を立てたりして頑張って通うようにしてました。
でも、予備校に通えていた1番の理由は、教室に大好きな友達が居たからです。
1人で居たら絶対に挫けていたと思います。
試験当日も、みんなで受かれるようにお互いの絵の講評をし合いました。 いい人たちに会えたなあと思います。春からは大好きな友達とみんなで同じクラスになれて、ほんとに嬉しい気持ちでいっぱいです。
相談に乗ってくれた先生方、支えてくれた友達には感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。

岡野 勇太さん

神奈川県
橘学苑高等学校 デザイン美術コース

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

挫折から得た気付き

高校時代含め約6年間どばたで学ばせていただきましたが技術はもちろん精神共に成長出来ました。
私は2浪の頃から今年にかけて3年間、経済的理由で週3でコンビニのバイトで学費を稼ぎながらどばたに通っていました。最初は辛かったですが「他人とは違って自分で費用出して受験やってるからえらい」と心の中でずっと褒め続けながら徐々に慣れていきました。
2浪で1次試験に通ったものの落ち3浪目の秋頃から石膏像の形が不安定になり、気持ちも人生で1番ナーバスになり1次で落ちました。その年は同期の3浪がかなり藝大に受かっていて、人生で経験したことのないぐらい(今後もおそらく経験しないぐらい)死ぬほど悔しくてずっと泣いていました。それがきっかけか合格者達の「合格しました」ツイートをまとめてスマホのホーム画面にしていつどんな時でもこの悔しさを忘れないように1年間頑張りました。(狂気ですが個人的には時間を無駄にしてしまいそうになった時これを見て奮い立ってたのでオススメです)
他者と比べて落ち込んでしまってた3浪後期を踏まえて迎えた4浪目はとにかく自分の絵を自分で褒めて課題点を自分で見つけられるように努力しました。特に思考が極端だった自分は課題点があれば全部ダメと思考がよりがちだったので褒める事を優先した事は結構必要だったことだと思います。大きく違うところは違う、細かく違うところは細かく違うと自分の判断力が柔軟にかつ磨かれて良い絵を描く糧になったと思います。
試験当日は落ち着いて、とにかく石膏着彩それぞれ土台になる部分の構図、(動き)、比率と大小関係を何度も何度も何度も確認して描きました。そのせいか後半はいつもより描写に使える時間が少なくなりめちゃくちゃ内心焦りましたが、その絵のベストでまとめる力を普段鍛えていたおかげで、本番でも1枚の絵として綺麗にまとめあげる事はできたと思います。
自分で褒めてはいたものの自分の良さを褒めてそのまま伸ばしてくれ続けた先生方には本当に感謝してます。一緒に戦ってきてくれた友人、闘志を燃やしてくれた友人にもとても感謝しています。
皆様本当にありがとうございました。
最後になりますがここまで読んでくださりありがとうございます。受験生の皆さんの努力が報われるよう応援しております。頑張ってください!

金井 玲奈さん

埼玉県
私立本庄東高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
多摩美術大学絵画学科日本画専攻
東北芸術工科大学美術科日本画コース

"継続"

私が受験に向けた日々の中で学んだことは、視野を広く持ち冷静に自分自身の作品と、目標を達成するために足りないものを客観的に考えることの大切さです。

藝大の合格に向け浪人を続けることは私にとって心身共に追い詰められるものでしたが、焦れば焦るほど近視眼的になってしまうので必要な休息をしっかり取り、日々の課題に真摯に向き合い改善点を模索し続けることで成長に繋げることができました。

浪人を続けるという選択をしたことで失ったものも得たものも沢山あり、後悔も少なからずありますが、継続が力となって身を結んだという経験は、これからの生活においても確かな支えになってくれるだろうと感じています。

無理をし過ぎず、できる限り楽しんで制作を続けていきたいと思っています。

五嶋 伶那さん

東京都
大泉桜高等学校

合格大学:
東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻

描きまくる

「もっと描け」と言われ続けた一年間でした。
僕は幼い頃からゆっくり絵を描くタイプで、12時間で一つの絵を完成させるという課題にすごく苦手意識を感じていました。なので僕は「完成させる」という漠然とした目標を掲げて課題に取り組んでいたのですが、何故か完成しない。講評では「もっと描写しろ」と。確かにもっと描けるかもしれないとは思っていましたが、ただでさえ終わってないのにもっと描いたらだめなんじゃないか。それに、参考作品を見てみるとこんなもんじゃない?と感じてしまいます。

そんな時先生に「五嶋君がもっと描写できると思ったなら描写していいよ」と言われました。
参考作品は答えじゃないんだと当たり前のことに気づいた10月。僕は完成させることよりも、見てもらいたいものを限界まで描きまくってみることにしてみました。
すると講評で褒められたんです!しかも、限界まで描いた箇所があると、それを基準に他の所をどれだけ描けばいいかがわかるので完成もしやすくなりました!

参考作品のように計算され尽くした少ない手数で描くのは、少なくとも今の僕には出来ない。でも、無駄な仕事をしたり時間をかけてでもいいから、描きまくることによってモチーフそのものを表現することも大事なんだと気付きました。
一次も二次も見せたい所を描きまくることに集中しました。
こんなに一つのことに夢中になって一年を過ごしたことは今まで無かったと思います。とても刺激的な一年間でした。ありがとうございました。