※準備中です
A.Hさん
合格大学:東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
出身校:女子学院高等学校
『現実逃避』
私は受験において、最後まで可もなく不可もなくみたいな絵を描き続けていたと思います。安定は長所だと思いつつ、限界まで努力できているという自信もなければ大きな進化もない日々にこれでいいのかと不安になることが多々ありました。
今思えば、予備校で絵を描くことは主体性を持つための訓練のようでした。出来なさそうなことを避けてある程度で手を打とうとする癖は絵を描く上では大きな弊害であり、挑戦する勇気と元気を持つことが私にとって課題だったと感じています。途中まではセオリー通り上手くいっても完成につながらないことがよくあったのは、リスクを恐れて試行錯誤を避けていたことや、完成のイメージがないまま形ばかりの仕事をしていたせいでした。というよりそもそも上手い絵というふわふわした言葉にとらわれていたので完成図を現実的にイメージすることが困難で、なんとなくうまくいってほしいなと思考放棄していたところは大いにあると思います。今でもまだできないものはできないというか、漠然とした「完璧」を目指して尻込みする癖は治っていないような気がしますが、こと受験本番に関しては気負って考えるより見たままを描くだけでいいと早い段階で思えた事が良かったのかなと思っています。
私は美術への純粋な憧れからではなく、自分ができることを探して藝大受験に流れついたようなもので、合格した時、ついに瀬戸際まで来てしまったと思いました。しかし、努力できるものがある事はとても嬉しい事だと、この受験を通して体感したのもまた事実です。希望を持って学んでいこうと思います。
この生活を支えてくれた家族や、身にならない話を聞いてくださった先生方、一緒にいてくれた友人達には感謝しかないです。ありがとうございました。これからも頑張ります。
S.Mさん
合格大学:東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
多摩美術大学絵画科日本画専攻
東北芸術工科大学美術科日本画コース
出身校:女子美術大学附属高校
『日本画受験の3年間』
私は高1から受験絵画を始めました。
高1の時は他の予備校でデザイン専攻で、高3の時に日本画に専攻を変えました。
静物着彩を始めた当初は楽しくてしょうがなかったですが、外部コンクールに行っては打ちのめされて落ち込んで、の繰り返しでした。
石膏だけは得意だって自負してましたがあっけなく一次落ち、1浪を迫られた時、当時の予備校の先生は他の予備校も勧めてくれて、とても感謝しています。
1浪からすいどーばたに通いました。
どばたは本当に上手い人が多く、先輩や周りの人たちの絵をとても参考にしてました。
時に、私ってすごい下手なんだと思い知らされて、しんどかったです。心の余裕が欲しくて、1浪、2浪とも東北芸工を受けてます。1浪の年は、一次落ちたら東北芸工に行くと決めて、絶対1次に受かってやると思って取り組みました。
1次は合格、2次でなぜかすごい慢心しました。今思うと、普通に下手だったから落ちたと思います。
2浪を決める時、両親には東北芸工行ってから決めてもいいんじゃないかと、とても反対されました。
でも、当時は次は絶対受かる!と、すごく燃えてたので2浪で終わらせることを約束し、無理をいって浪人させてもらいました。
2浪目、なかだるみしないようにと意識して、最初はすごい頑張ってたと思います。だけどやっぱり続かなくて、自分ではずっとしんどくて、スランプみたいななかだるみが本番まで続いてました。
1次の本番、石膏は得意だしいつも通りやろ、ぐらい緊張はせず逆に鋼のメンタルでした。終わったあとも、多分受かってるだろうと思って2次の対策をしていました。
逆に2次は苦手でした。
着彩は好きでしたがなかなか結果にならなくてずっと悩んでいました。
しかし、私大対策をやってからは止まっちゃいけないんだと思って、以前よりはるかに描くことを意識しながら描けてたと思います。
今まで先生に言われた描写で距離を作って空間を作るということがようやく腑に落ちて、離れる時間も惜しいから描くってなってました。
意外と離れなくても描写で距離を作ってると空間が綺麗になりました。
一言で言っても描写はただ手が入ってるだけではなくてリアルであることが大事でした。リアルの概念は難しいです。自分の中に正解があっても説明が難しいです。
最初の頃は説明的に考えて描く時も色々注意しながらやってたんですけど、私には全然向いてなかったって思います。
K先生にお前は考えすぎだって言われて、ほんと最後はかっこいい組み構図、良い形をとる、描写しか考えてませんでした。他人とも比較しすぎないようにしてました。
本番、モチーフを見てこれは描ききる課題だと思いました。変なこと考えずにかっこいい組み構図にしよう。いつも通り描写しよう。後悔しないようにって思って描きました。
結果報われて本当に良かったです。
最後まで私を応援し支えてくれた両親、先生方には感謝しきれません。
ありがとうございました。
これからもまた頑張っていきます。
Y.Oさん
合格大学:東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻、東北芸術工科大学日本画専攻
出身校:伊奈学園総合高等学校
『向き合う力とルーティン』
美術系の高校に通っていたので、藝大美大受験は私にとって身近なものでした。更に日本画の描き味が肌に合っていたことや、石膏デッサンが好きだったのもあり、藝大受験に対して前向きな気持ちでした。
絶対現役合格という気持ちでいたものの、結果は一次落ち。そこから一浪二浪と一次落ちが続き、自分は藝大に受からないんじゃないか、と思い込んでいました。二浪で一次落ちした私は、同じ二浪が多く受かっていったことや、二学期末コンクールで1位取れたのになんで一次すら通らないの?と、完全にモチベーションを失いました。しかし藝大に受かりたいという気持ち、先生からのアドバイスでなんとか立て直し、4月から予備校に通い、三浪目でやっと合格できました。
三浪目は、今までと違う一年でした。コンクールの順位も安定していたし、メンタル面でもひどく落ち込むことはなく制作に取り組むことができました。絵のクオリティは紆余曲折してましたが、石膏とメンタルは入直で安定してきたと思います。着彩は藝大模試以降スランプでした。
共通テストも今までで1番勉強して、出願も自分でこなし本番に挑みました。
一次は、綺麗な光で見やすい立体をしてくれている横位置のヘルメスに感謝しながら描きました。2日目の昼に自分のヘルメスの暗さが足りないことに気づき、あわてて暗さを入れ直す工程を挟んだことが、今思うと大切だったのかなと思います。
二次は、30分で組んで初動はいい感じに進みました。ですが、入直の着彩終わらない問題が本番で出てしまい、メインと手前はしっかり描いたものの他の場所が雑もいいところ、全くいつも通り描けずシュロ縄も一塗りで終わってしまったので、二次を終えてからはずっと不安でたまらなかったです。合格発表で自分の番号があった時は本当に信じられませんでした。
また、制作するにあたって障害物になるものは徹底的に排除するべきということ、ルーティンが大切だということを受験で学びました。私は体調を崩しやすいタイプだったので、通院したり自分に合う薬を飲んだり、湯船に必ず入ることで体調を整えてました。あとは同じ時間に寝て同じ時間に起きる、土曜の夜は美味しいものを食べる、鉛筆は制作中に削ることがないように多めに用意ししっかり削っておく、黒い服を着て意識を高める、など。特に三浪目からそういったことを徹底してきましたが、今思うとこれが結果に繋がったと思います。
最後に、個人的に絵を見てくれたりお話を聞いてくださった他クラスの先生、自分の絵に自信が持てずにいた私を支えてくれたクラスの先生、ずっと応援してくれていた両親や祖父母、本当にありがとうございました。
すいどーばたで学べたことを大切にしながら
これからも一生懸命頑張っていきたいと思います。
R.Sさん
合格大学:東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
出身校:埼玉県立川越南高等学校
『絵を描くこと』
高校一年の時にとあることで美術に興味を持ち始め、藝大を目指そうと思ったのは高校二年の春でした。最初はただどうせやるなら一流に!と思い藝大を志望していました。
すいどーばた美術学院には高校二年の六月から基礎科に通い始めました。それまでの人生で受験としての絵を描くことをしたことがなかったので最初は戸惑いましたが、ただがむしゃらに楽しかったのを覚えています。
高校三年の時には受験科に入り適度な緊張感を持ちつつ一枚一枚着実に描いていきました。初めての入試直前講座では描く枚数がどっと増え一気に上達しました。しかし試験本番では慣れない光や紙、環境に振り回されて一次で落ちてしまいました。
そして浪人生活を迎えました。現役の時とは違い、年齢の差、経験の差がある先輩方が周りに居て自分の実力がまだまだである事を改めて思い知りました。そこからはトライアンドエラーの日々でした。毎回明確な課題を持ち失敗しては研究、たまにうまくいき成長、といった具合でした。今覚えば一課題毎に課題をもって描いていたのが良い結果に繋がったのだと思います。
しかしこの調子で行けたのは一浪の秋頃まででした。私はいつももっと描いて!情報量が足りない!と言われていました。当時の自分は言われてることの意味が分かっていませんでした。その頃は見たままの色を写す、ある種作業的な描き方をしていました。色を写し取ればリアルになるはずだと思い込んでいました。そんな描き方では行き詰まるに決まっていました。なぜなら「見たまま描く」ということを、「見たままの色で描く」ことだと思っていたからです。
色という情報にしか着目できていませんでした。
「見たまま描く」という言葉の「見たまま」には当然立体や質、空間、明度、彩度、重さ、匂いなど人間が感じ得る全てが入っているはずでした。それらの情報を画面の中で「色」を使って反映させなければいけませんでした。つまり見たままの色を写すのではなく、色以外の情報を画面にのせるためにこの色で描く、といった画面の中での操作が必要でした。そのことに気づいてからは自分は模写してるのではなく、「絵を描いてる」のだと、意識が変わりました。それまで以上に絵作りをして自分が心地よいと思える画面を作れるようになりました。そういった絵作りにおいて、
先生方の意見や参考作品、友達など、たくさんの作品に触れられたすいどーばた美術学院に通えたことは幸せなことだったのだと思います。
大学ではより絵作り、画面作りが求められると思います。そういった「絵を描くこと」の基礎中の基礎を学べたことは一生の財産だと思います。私は美術を志す者の中ではひよっこも良いところだと思います。だからこそすいどーばた美術学院で学んだことを大切にし、精進していきたいです。
最後に、大切なものを教えてくれた先生方や、一緒に励んでくれた友に、何より藝大受験という世間一般的には普通でない道を選ぶことを許して、応援してくれた両親、家族に、心からの感謝を申し上げます。まだまだ未熟者ですが頑張っていきます。これからも見守っていただけると幸いです。
Nさん
合格大学:東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
出身校:神奈川県立弥栄高等学校
『大切な思い』
「合格」…その言葉を認識した瞬間、
私は真っ先に友人に電話をかけました。
その彼女は、私が最も信頼し、全力で追いかけたい、追いかけなければいけないライバルでした。
私は5浪の崖っぷち“野郎”であって、
決して優等生などではありません。
しかしながら、そのような私を信じて、
見守ってくださった講師の方々がどばたにいらしたことをこの試験が教えてくれました。
そんな講師から学んだのはどのような生徒でも個々の実力に合った戦い方があり、私にも戦える魅力があったということ。
試験当日、その教えを胸に秘め、一心に鉛筆を走らせながら今までのことを思い返していました。
心配をかけた高校の恩師、3浪目で諦めてしまった仲間達、待っていてくれた先輩方、一緒に戦った予備校のクラスメイト、自分の絵に興味を持ってくれた後輩、私の魅力を最後まで信じてくださった講師の方々。授業終わりも隣り合わせで真剣にモチーフと向き合うひと時を過ごした…友。
そういう状況が、私の気持ちを落ち着かせ、
初心に帰ることができ、モチーフに対する愛情が1番大切なのだと思い出すことが出来たのです。
そして私は戦いました。
あと数時間で私の人生が決まる。このチャンスは逃せない。まだまだ描き込める。私はこのモチーフをここまで観察し、ここまで表現しているんだ。どうか伝われ。
この思いが友に追いつく為の気力になったのか、
友だけでなく、私も合格していました。
このことは決して奇跡などではなく、諦めず、お互いが本気で向き合ってきた結果なのだと思います。
また、こうして受験が終わった今、思うのは
私はやはり絵が好きだということです。
そういう気持ちを失わないようにしてくださった先生方には感謝しかありません。
私達はこの思いのおかげで、これからも良い絵を描き続けられると信じています。
本当に、ありがとうございました。
K.Oさん
合格大学:東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻
出身校:東京都立総合芸術高等学校
『今を大切に』
本番が近付いてきた12月頃に、「今この瞬間を大切に生きていれば、いつか良い展開になっていく」という事に気付いたのが私の最大の転機です。
私は中学3年生から通っていた塾を1浪の12月に辞め、冬季講習から入直の最後まですいどーばたに通いました。
試験直前になっていきなり塾を変えるというリスキーな決断は、今の私に必要なのが“受験への対応力”と“自分の表現をより鍛えて進化させる事”だと確信した上でのものでした。
すいどーばたに変えた理由としては、生徒数が多く、参考作品が豊富に揃えられ、藝大出身者である講師の方々がいらっしゃるという主に3つの点が挙げられます。
慣れ親しんだ塾を辞めて新しい場所に出てきたので、言わば産まれたての赤ん坊の気持ちでありのままを出せる様になり、それがきっかけとなって「今を楽しんで生きれば良いんだ」と全てが吹っ切れました。
12月にその様な状態になってからは、普段の授業も試験本番も、今の私にできる事を考えて、残りの0.1秒まで食らいついてやるぞ、という真っ直ぐな姿勢で絵を描いていました。
未来にある結果を過剰に心配する事も過去の誤ちを振り返って落ち込む事もしないで、ただ今在る自分を信じていけば良いんだと思います。