日本画科 2024

S.Eさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻

出身校:中央大学杉並高等学校

『3年10ヶ月』

高2の6月から基礎科のビギナーデッサンに土日コースで通い、夏期講習から基礎科日本画専攻(土日)で学び、高3は夜間部、2年間の浪人は昼間部に通いました。最初から最後までどばたでした。

 

【デッサン】

高2の段階ではデッサンの初歩すら分からず、高3が近づく冬ですら鉛筆を取り上げたほうが良いと先生に思われたほどでした。実際私だけ、鉛筆ではなく筆と墨で描かされました。その時の感動はまだ忘れません。デッサンというものを掴めたわけではないのですが、暗中模索から少し抜け出せた感覚がありました。

高3ではデッサンとはどういうものか、を掴むのに苦戦しました。どうにも『描写』『タッチ』というものが分からず、塗ってるだけだよね、色でしか見てない、タッチが体に沿ってない、と言われるような、『描く』ということがすっぽりと抜けている絵でした。先生からは「頑張ってるのは分かるんだけどね」とため息をつかれてしまうような絵でした。薄っすらと、これは落ちるなぁ…という感覚があったのを覚えています。結果1次落ちでした。

1浪ではとにかく参考作品を見て、描くというのはどういうことなのか、上手い人達はどこをどうやって描いているのかを吸収しました。鉛筆の彩度や、筆圧、タッチの方向など、とりあえず「よく分からないけどやってみる」という行動が多かったように思います。描くということに関しては、頭で覚えるより手が覚える方が早かったです。いつの間にか参考作品みたいなタッチができるようになっていました。この頃から「描き慣れてる」と言われるようになってきました。冬頃には多浪生と張り合えるくらい描写力があると言われて嬉しかったのを覚えています。

苦手だったデッサンが少しずつ楽しくなってきた感覚もありました。

結果は1次落ちでした。

自分は何が悪かったのか正直あまり分かりませんでした。

2浪の初めに先生から「形が全然違うよ」と言われてやっと分かりました。似てるとか似てないとかいう話では許容できないくらい形が全然違ったのです。自分では全力で似せているつもりでした。無我夢中で測って見比べて、これ以上直せないと思えるくらい直しているつもりでした。でも全然足りていませんでした。形のとり方というのは参考作品を見ても全然分からないものです。そこで私は上手い浪人生のリアルタイムでの仕事を見て必死に真似しました。形の直し方をひたすらに学びました。冬前のコンクールで先生から言われた言葉は「全然似てないから、これからは毎回クロッキーして」でした。愕然としました。そこからはみんなよりも1.5時間制作時間を減らして毎回クロッキーをしました。こんな直前に、みんなは本番の時間配分を気にしながら制作している中、私だけ、形という足枷が外れないまま制作していました。クロッキーをやめたのは直前の2.3枚のみです。突然、講評での形の指摘がなくなりました。「まぁいいんじゃないかな」と言われて、恐怖心に近いような緊張が和らいだのを覚えています。

しかし本番はどばたのように上手くはいかず、2回全消しをし、頭部をもう1回全消しし、結局2日目の午前中に頭部をもう1度全消ししました。全く形がとれませんでした。それでも直して直して直して、なんとか、「おかしくはない」というレベルに落ち着きました。形以外の表現は得意だったので、最後はその部屋で1番描写していたと思えるくらいにしっかり描けました。

終わった後は放心状態でした。1次と2次の間に行う着彩の制作では、2浪で恐らく初めて未完成作品を作りました。何度も本番の絵を思い出して、「あれが落ちるのか…?」という疑問が浮かび、受かる確信も落ちる確信もないフワフワした状態でした。

通過した時には正直、「なるほどな…」と思いました。

 

【着彩】

とにかく終わらせることだけを目標に制作していました。制作してる間は「それらしく、それらしく、それらしく…」とずっと唱えながら12時間過ごしていました。1浪2浪で順位の変動はあまり無く、「着彩の方が得意だし楽しいし好きだな」と思っていました。

私は中学、高校時代の勉強のせいで右手の小指の付け根あたりが慢性的な腱鞘炎で、3時間おきに痛み止めを塗らなければいけない体質でした。鉛筆よりも筆の方が手に負担がかからないため、着彩のデッサンは誰よりも早く終わらせ、ほぼ絵の具の仕事で闘いました。「もっとデッサンしたら?」と言われるのが1番悔しかったです。

 

高2の時には先生が高校の名前を見て「勉強が得意だったら芸術学専攻の方が向いているのでは」と何度も言われましたが、どうせ芸術学を志望しても、日本画を志望しても、努力しなければいけないことに変わりはないと思います。それだったら、自分のやりたい道を選んだほうが全力で向き合えると思いました。

 

悪戦苦闘の3年10ヶ月でしたが、なんとか駆け抜けられて良かったです。試験本番では1浪でお世話になった先生も、2浪でお世話になった先生も、ずっとチラついていました。本当に支えられました。これからも私の心の中に住み続けるんだろうと思います。

お世話になりました。ありがとうございました。

E.Aさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻
     女子美術大学 芸術学部 美術学科 日本画専攻

出身校:大妻嵐山高等学校

『ただひたすらに自分の道を』

多分私は最後までいわゆる優等生のようなタイプではなかったと思います。絵の出来の波は激しく、コンクールの結果も最後まで安定することはありませんでした。きっと「異端児」という言葉が1番私には似合っていたと思います。


そもそも私は「一般的な受験絵画」というような絵を描くことが出来ず、常に個性が魅力になるか癖っぽく見せるかの狭間を揺蕩っていました。個性というのは言わば諸刃の剣のようなもので、これだけでも合否に直結してしまうほどには重みのある要素だと思います。私は3年間の浪人生活でとにかくこの諸刃の剣に苦しめられ続けてきました。

特に1、2浪の時はこの傾向が強く出てしまい、学期に1枚上手いこと感覚の噛み合う絵が描けていればいい方、という具合でした。それでも2浪の冬期講習あたりからは比較的安定した絵が描けるようになってきて、特に苦手としていた1次試験も無事合格。2次試験も流れで突破できるかと思いきや藝大の壁はとても高く、あえなく3浪目に突入してしまいました。

3浪になってからは比較的調子も良く、これなら今年こそはいける!と1学期くらいまでは思っていました。事実、1学期末のコンクールではデッサンが3位、総合順位も7位と、今までずっと底辺で燻っていた私にしてはかなりいい成績を残すことができました。しかし2学期末〜冬期講習の辺りでどこか歯車が噛み合わなくなってしまい、ずっと調子を崩し続けてました。1、2枚はいい絵も描けましたが、その他は描けば描く程に絵が見ていられないようなクオリティにまで下がってしまい、日々焦燥感だけが募って行きました。そしてその焦りと苛立ちを抱えたまま、ついに入直が始まってしまいました。
2浪の時は私大対策の後に芸大対策が伸びたからと今年も肩の力を軽く抜くために私大を受験しましたが結局その後芸大対策が伸びることはなく、入直時期にほぼ毎回やっていたクラス内コンクールでは何度か最下位を取ったりもしていました。私はコンクールの結果でかなり一喜一憂するタイプだったので、2月末には精神面も絵のクオリティも泥沼のようになってしまい、最後の1週間は自分にあと何が必要かを考えると言うよりも、とにかくどうやったら調子が良かった頃に戻れるかだけを必死に追い求めていました。
必死に考え、歯車が上手く噛み合っていた時の共通点は「その瞬間を楽しめているか否か」なのではないかという結論に達しました。既にデッサンも着彩も残り1枚しか残っていない状況で、ともすれば今から方向転換しても遅すぎる可能性すら十分にありました。しかし自分なら絶対に合格出来る!と信じ込み、1次前の最後の1枚から2次2日目までの計8日間、絶対に正気には戻らないようにただただ楽しい方へ突っ走りました。
結果としてこれが功を奏したのだと思います。
1次試験は去年と光こそ違えど同じ位置だったので、とにかく落ちない絵を描くことを優先しました。対照的に2次試験では、楽しく描く事を優先し、描きたいものをめいっぱい描ける構図にして、逆に描いてても気分が乗らないであろうものは画面からほとんど切ってしまうというとても挑戦的な戦い方をしました。それが結果の出る受験であることなんか忘れて、本当に「楽しむ」ことだけを優先しました。それぞれの試験の前日には担任の先生に「明日は藝大で踊ってきます。」と言い残し、試験会場を自分のためだけに用意された舞台だと信じ込んだりもしました。

どうしても異端児にしかなれない私には、きっとこのような突飛な戦い方しかなかったのだと思います。それでも最後の1年間、どんなに攻めた絵を描いても内容さえ良ければ良しとして、マジョリティには近づけなかった私のような存在を肯定してくれたクラスだったからこそ、こうして今年合格出来たのだと思います。
なんか気に食わない、くらいの理由で何度も噛み付いてきましたが、それでも快く私の存在を受け入れてくれた先生方には深く感謝しています。


上手くいかないことにはある程度のパターンがありますが、上手くいくための方法(技巧とかではなく気の持ちようなど)は案外1つくらいしかなかったりします。あとは何度挫けても、何もかもが嫌になっても、それでも目の前を塞いでくる壁に立ち向かうことさえできれば、案外あっさりと道は拓けてしまうのかもしれません。

S.Tさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻

出身校:川崎市立川崎総合科学高等学校

 

『油画と日本画で過ごした四年間』

私は高校でデザインの勉強をし、現役と一浪は藝大油画を受験し、二浪から日本画に転科し、四浪で藝大日本画に合格しました。

高校時代はデザインの勉強をしながら放課後にひたすら油絵を描く生活を送っており、まさか自分が藝大の日本画に入学することになるとは全く想像していませんでした。

油絵を描くことは今でも好きなのですが、藝大受験で描く油絵は自分の思い描く世界を100%反映できず、受験絵画を描くことで絵が上手くなっていく感覚がありませんでした。私は制作を通して自己表現をすることも好きなのですが、もっともっと絵が上手くなりたいという思いがあったので、日本画に転科することに決めました。

日本画に来てからというものの、とにかく描写力を伸ばそうとして誰よりも細かく描こうとしたり、思いっきり影色を強くしてしまったりして、雰囲気の無い硬い絵ばかり描いていました。

もちろん描写力が伸びで年を追うごとにコンクールの順位も伸びできて、成長を実感していたのですが、トップを取ることは無く描写力はトップレベルであるのに、なぜ勝てないんだろうと悩み続けていました。4浪の12月にモルモットを着彩で描いたことがあり、その時あることに気が付きました。

描写力、空間表現、形の正確さ、モチーフの印象、様々な事を教わりましたが、最も大切なことは「魅力的な絵を描く」事なのだと。

モチーフを画面上にどうやって配置したらカッコよくなるか、絵の具を綺麗に重ねて煌びやかに表現したり、窓から差し込む光を美しく表現したり、あの手この手で魅力的な絵にしていくことが何より大切なのだと。

デザイン、油画の時に勉強していた事がこの時無駄ではなかったことに気が付きました。モンドリアンのような四角い画面の中に図形をカッコよく配置しただけの油画や街で見かけるカッコいい映画のポスターの文字の置かれ方など、すべて魅力的な四角い画面を作るという面で共通しています。

その後着彩では予備校で習うオーソドックスな三点構図にとらわれずとにかく画面上にカッコよくモチーフを配置する事を意識するようにしてから魅力的な構図を組めるようになり、絵の具を乗せるときにいろんな色を塗り重ねて透明感のある絵の具層を作ったりして自分の好きな絵を描く事を大切にしました。

試験本番も例年にない形式の出題でしたが、落ち着いてとにかく魅力的な組み方を意識した結果、自分でもかなり気に入っている構図が組め、絵の表現も綺麗に決まりいい一枚が描けたなと思いました。

二浪から日本画に来たので周りよりスタートが遅くなり、同年代の人が先に合格する姿を見て、自分も最初から日本画を目指していればなぁと思う事もありましたが、今になって見ればデザイン、油画で勉強した、ただ上手いだけじゃない魅力的な絵を描く力のおかげで独特な雰囲気の受験絵画を描けるようになったので決して無駄ではなかったと思います。

三年間すいどーばた日本画で過ごして沢山のことを学べました。先生方、助手さん、共に浪人してきた仲間達に感謝!!

K.Oさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻

出身校:千葉県立松戸高等学校

 

『受験絵画』

着彩において、私は現役のときも浪人しているときも遠目の印象、いわゆる全体感を一番の課題にしていました。しかしコンクールで上位をとっても「可もなく不可もない絵」と言われてしまったり、描写はしているが粗があるといった人の絵のほうが好評だったりということが幾度もありました。きっと枚数を重ねていくうちに汚い色や立体感がない箇所は減っていき比較的安定した絵がかけるようになりましたが、常に遠目を意識したことでいつの間にか私の作品のゴールは遠目の完成度で止まってしまったのだと思います。
私は描写よりも全体感が先行してしまう絵の何がいけないのか正直最初はわかりませんでした。受験絵画において粗がないに越したことはないと思っていたからです。しかし、「教授はそつなく絵を描いていく人ではなく、作家となるような人材がほしい」という話をきいてはっとしました。東京藝大にはなんのために行くのか、受験絵画はなんのために描いているのか。それは作家として作品をつくるため、そして受験絵画は自分の作家性を表現するために描くのだときづきました。
そのお陰で、魅力的な構図、複雑な色味、描写するところとそうでないところなどが徐々にできるようになりそれが私の魅力になりました。
私は予備校で描く絵を「受験絵画」ではなくひとつの作品として見ることが大事だと思います。

M.Kさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻

出身校:千葉県立松戸高等学校

 

『やるべき所をやりきる』

 

自分が受験の時に制作する上で一番気をつけていたことは、「描くべき所とそうでない所を見極める」ことです。

 

自分は張り切ると視野が狭くなってしまう癖がありました。特に着彩の制作中では、描くべき場所を放って無駄な所ばかり執着して描いてしまうことが多く、予備校のコンクールや藝大模試ではいい結果が出せませんでした。

藝大模試の直後、先生に上手くいかなかった模試の絵を講評してもらい、そこでアドバイスされてやっと、現役生の頃から言われ続けていた「絵の見えてくる順番」というものを理解しました。

その後入試直前講座の制作からは、張り切りすぎずリラックスして、自分が執着する方向を描くべき所に向けるよう意識したことで、前よりも絵の見え方が良くなりました。

 

二次試験の本番では見せ場が多い構図にしたので、そこに時間を取られて床周りのモチーフのクオリティがかなり低くなってしまい結果が不安でしたが、メインや手前の見せ場を描ききることは出来ていたのでそれが合格へと繋がったのだと思っています。

 

それと、自分が合格出来るまで頑張れたのは、上手くいかずに落ち込んでいた時に親身になって話を聞いてくれて、自分の絵のいい所を見つけてくれた先生と、駄目な所と良い所をハッキリ言って的確な指導を熱心にしてくれた先生、個人的に絵を見てもらったり気にかけてくれた他クラスの先生達、裕福な家庭でもないのに自分を信じて藝大一本で受験させてくれた両親が居たからです。

浪人中は自分の事に精一杯でしたが、自分が本当に恵まれた環境に居たのだと今とても実感しています。すいどーばた美術学院に通えてよかったです。

 

T.Mさん

合格大学:
東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻
東北芸術工科大学 日本画専攻

『試験当日に良い絵を描く』


僕は現役と浪人の2年間すいどーばた美術学院日本画科の受験科にお世話になりました。
現役生の頃は各課題ごとに一喜一憂してしまい藝大の試験直前にはメンタルが崩れてしまっていました。

結果は一次落ち、両親からは一浪だけならしてもいいと言われ全ての受験校に落ちていた自分は必然的に一浪を選択しました。

浪人生活中は長期的な視点で考えるようにしていました。授業毎の課題の評価や、コンクールの順位にとらわれずに合格に必要な要素は何か、藝大の評価点は何かを先生と考えたりしました。その結果冬季講習ごろに『モチーフの魅力を素直に表現する事、雑な仕事を行わない事』が大切だと気づき、方向性が固まりました。
試験では、一次試験、二次試験共にイレギュラーな出題でしたが1年間の積み重ねもあり本当に焦ってしまうことはなかったと思います。

最後に、1年間の浪人生活を支えてくれた家族、友人、どばたの先生方には感謝しかないです。
本当にありがとうございました。

E.Mさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻

出身校:東京都立総合芸術高校

『わたしの合格体験記』

試験の時

 藝大の試験の教室に入るとそこには、窓から降り注ぐ青白い光と置かれたモチーフが調和した美しい情景が広がっていて、それまで張り詰めていた緊張が、スっと解れました。

 

 一次試験では去年とほぼ同じような出題だったのもあり、ヘルメスへの苦手意識を客観性に活かして二日間集中して制作することが出来ました。また二次試験の一日目では、教室の青白い光が引き立てる、ヤマメ周辺のひんやりとした温度感に感動し、心地よく制作できました。しかしながら二日目では根拠のない急な不安感により、試験前には泣きしきりお昼休憩では壁を蹴ったり同じ場所を歩き回ったりと狂騒に駆られていました。絵に集中したいのに、隣の芝生は青く見えるばかりで、試験中こうした自分の悪状況にうんざりし諦めてしまいたいと思う事もありましたが、その都度深呼吸し「集中するべきは『自分と、自分の絵と、モチーフ』の三つだけだ!」と唱える事で、最後持ち直す事が出来ました。

 終了の15分前は呼吸をするのを忘れる程に、己の精力を絵に傾注しました。そして描きあげた時、「これで落ちたら藝大は見る目無いな」とそう思えました。

 

事前にやっておいた事

 パニックになるのは私にとって珍しい事では無かったので、それを踏まえて過去問をインプットしたり、ある程度のパターンを予測しておいた事が試験で冷静に対処できた要因になったと思います。案外伝統と掛け離れた出題はないし、ボリューム感も毎年そこまで変わらかったです。二次試験では基礎力以上の応用力、問いへの対応力が求められると思うので、普段の授業にどうアプローチするかを慎重に考えていました。常日頃から試験を意識する事で、本番自分の力を出し切る事が出来たと思います。

 気持ちの持ち用に関しては、私はよく他人と自分を比較して自信を無くす事があったため、生意気であること事を承知でいうと、「自分は一個人の作家であるんだ。絵を通して意思を伝えるんだ。」という気持ちを持って制作していました。周りと相対的に見るだけでは自分の絵は良くならない為、「自分がどう変われば、絵が良くなるか」という意思を持つ事が大切だと思います。

 

浪人生活について

 一浪の時の私は挑戦をして挫折するのが怖くて、向上心をどこかに置いて自分はこのままでいいやと安住していました。それは現役の頃から変わる事は無く、当時も試験の時も観察を怠り上手くやることに固執した絵を描いていました。毎回自分の精神状況によってクオリティに差が出る場当たり的な状態が続いてしまい、それが現役、一浪で二次落ちした大きい原因だった為、落ちた時はとてもショックでしたが、改善点は明確だった為、最後の覚悟で二浪を決意しました。

 そうして二浪目の一年間は計画的に描き進める事を目標に、安定感を意識して制作していました。去年とは打って変わって私のクラスは四月から冬季講習前まで一人一卓の三日間制作だった為、そうした課題と向き合う時間が十分に取れました。描いた枚数は他クラスより少ないですが毎回十二時間で出した限界を突破し、よりクオリティを高くする作業は自分のペースに持ち込む(いわゆるゾーンに入る)方法を模索したり、意図した結果を出せる助けになりました。

 又、絵以外のことにも積極的に取り組んでいました。休みの日には山に登り滝を見たり、音楽を聴きにコンサートに足を運んだり、美味しいものを食べに行ったりと刺激的な事を沢山しました。

 完璧主義で色々考えすぎて失敗する事が多かったですが、何回か地球の大自然に触れ、無念無想になる事で、日々の制作でもニュートラルな気持ちで取り組む事が出来ました。

 

最後に

 これまで支えてくれた先生方、家族、友人達には言葉で表現しきれない程に感謝しています。全ての周りの状況が、自分の成長を助けてくれました。私自身ではまだ何も生み出せていませんが、支えてくれた方々に恩返しする気持ちを胸に、今後新たな影響を周りに与えられる作家になりますのでまた応援して頂けたら嬉しいです。

 

S.Tさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻

出身校:鎌倉高校

のびのび本気で楽しく満足するまでやり切った芸大受験

僕の現役、1浪、2浪は宅浪でした。バイトしながらモチーフを自分で買い、石膏も8体そろえてリビングで一人で描いていました。

芸大日本画出身の父に指導を受けつつ、特に時間制限もなく好きなモチーフを好きな技法で描いていました。

けれどコンクールではずっと下位で、方向性の違いを認識し始めました。

3浪の前期にお金をため、後期で地元の予備校に初めて通いましたが、また一次落ち。4浪も後期だけ通い、初めて1次通過しましたが、2次は実力不足で落ちました。

5浪目はスカラシップ生として1年間どばたに通いました。しかし学費40%offといってもギリギリで、授業後はUber Eats、講習は取らずにひたすらバイトしました。受験のためだけに動いた一年でした。

着彩もしっかり実力をつけ、満を持してのぞんだ結果は1次落ち。さすがにこたえましたが、もう一度受ける事に迷いはありませんでした。

最後の一年は予備校には通わず、コンクールのほかは、花の小さい絵を描いたり、ライブ配信で絵を描いたり、免許を取ったり、大学に入ったらしようと思っていたことをしながら次の試験を待ちました。根積めた生活から一転して力が抜け、コンクールの順位はむしろ上がりました。

直前講習だけはどばたに通い、調整して本番に向かいました。

ざっくり言ってもこれだけの時間と労力を芸大受験に費やしました。

ずいぶん遠回りをしましたが、道の途中での経験や出会いは宝です。自分で目標を決めて、それをやりとげることは、この上ない喜びです。

それを見守り、支えてくれた家族には感謝しかありません。母の作る毎日のお弁当と、何を言っても真剣に聴いてくれる父の姿勢は、とても裕福な環境だったと思います。

どばたは住みたいくらい好きでした。絵を描くことに特化して作られた設備と助手の方のサポートは、絵に集中するのに最高の環境です。モチーフも豪華です。なにより、講師の方の生徒への向き合い方には、人生で初めて心から尊敬したいと思えるほどでした。

日本画の受験では、物の良さを読み取って伝える能力、白紙からものを産み出す能力が確実につきます。美大受験には、時間をかけて自分を育てるという魅力もあると思います。

これから美術を志す人たちにも是非、のびのび本気で楽しく満足するまでやりきってほしいと思います。

 

A.Aさん

合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻

     武蔵野美術大学 造形学部 日本画学科

        多摩美術大学絵画学科日本画専攻

出身校:総合芸術高等学校

『ひとりでも』

浪人した一年間はとても充実した日々で、夢のようだったと感じています。一浪で受験を終わりにすると決めていたので、次は無いんだ、一度しか無いんだと思いながら毎日を過ごせたと思います。

現役生のときは二次試験までいくことができました。自分の着彩に自信はありませんでしたが、まあきっと本番は受からないにしても、現役生パワーみたいなものが出てきて120%の力で一番いい絵が描けるだろうと思っていました。しかし、そんなことはありませんでした。いつもよりひどい絵で、絶対に終わらないと確信して最後の3時間は泣きながら描いたことを覚えています。私はいつもの予備校で、いつもの先生と生徒のみんながいる、いつもの環境でなければ描けないのかと思いました。

だから、浪人の一年間は自分ひとりで、きちんと全部できるようになろうと強く思いました。予備校でも家でもたくさん練習して、とにかくひとりでできるように、自分の絵に自信を持てるようになろうと思いながら日々を送りました。うまくいかなかったことも多かったですが、練習を積み重ねてきたおかげで授業で描く絵は少しずつレベルが上がり、最後の一枚は満足できる絵を描けたのではないかと思います。

二次試験はいつも通りに描くことはできませんでした。メインのあたりは描けた自信がありましたが、それ以外はかなりひどい出来だったように思います。終わったあとは、同じことを繰り返してしまったのではないかとずっと考えていました。

最終的に合格することができたので、きっとひとりでやらなくてはいけないものは身についていたのだと思います。毎日本番でもできるようにと制作していたおかげで意識せずともできるようになっていたのだろうと思いました。

どばたでは、先生方がそれぞれの角度から大切なことを教えてくださいました。不安なときも楽しいときも先生方が一緒にいてくれたからこそ、受験生活を乗り越えられたのだと思います。先生には感謝しかありません。また、応援してくれた両親、どばたの環境、友達など様々な縁と状況が重なり合ったから達成できたことだったと思います。本当にありがとうございました。