1958年 静岡市生まれ。
1981年 多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業後キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン、広告宣伝等を担当。
1985年 単行本『エレキな春』で漫画家としてデビュー。
パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。
1994年独立後は、幻想的あるいは文学的な作品など次々に発表、マンガ家として独自な活動を続ける一方、近年ではエッセイ、映像、ゲーム、アートなど多方面に創作の幅を広げている。
公式HP:『ほーい! さるやまハゲの助』
「すいどーばた」

目白から歩いて15分くらいのそのビルは、五角形だか六角形のヘンテコなカタチで僕を待ち構えていた。おそるおそる足を踏み入れると薄暗い室内は月刊アトリエで見たことのある石膏像やら一目で美大受験の課題とわかる平面構成やらでいっぱいで、同じくらいの年の若者がカッコだけはもうすっかり美大生になって先輩きどりでこちらを見ている。
ヘンテコな建物の周囲を巡る廊下では、男も女もプカプカとタバコを吸いながら聞いたこともないミュージシャンやアーティストの話を自分の仲間のように話している。屋上に登ると汚れたコンクリートの床にペッタリと座りながら皆だるそうに空に向かって伸びてゆく新宿の高層ビルを眺めている。
これがボクが覚えている1976年のすいどーばた美術学院の光景だ。
芸大を落ちたボクはそこで一年を翌年の受験の準備のために過ごした。ボクのように田舎の高校から出てきたと一目でわかる現役もいた。先生と間違うような貫禄の四浪生なんてのもいた。学校の近くの画材屋でカマキリみたいな只者と思えないようなお兄さんから紙や木炭を買い、ヘタクソな水ばりボードに質感の無い静物を描き、消しゴムがわりのパンを食い、講評ではなぜ8枚も出した自分の作品が全部Cダッシュなのか納得できず、だけど先生にどこがいけないか聞くこともできず、せっせと9枚目の平面構成を作った。志望する科と関係ない立体の課題がいい点数でとまどったり、途中までいい感じのブルータスが描き込むほどにカタチのゆがみがひどくなったり、自由課題でマンガを描いて無視されたり、思いどおりに何かが描けたなんてことは一度もなかった。

学校が終われば近所のルノワールでルノワールが描いた少女の絵を古臭いとバカにし、慣れないワッフルを食い、駅前の牛友チェーンで同年代のピンクレディーがスターになっていくのを牛皿を食いながら眺め、夕暮れに沈む新宿に向かって学習院横の坂道を自転車で猛スピードで走り降り、高田馬場でパチンコですり、映画を見て本を買って、初めての銭湯に通い、一人の部屋に帰って湿った布団に潜り込んだ。
目白ではどこから来た名前かさっぱわからない「大都会」とかいう居酒屋で記憶がなくなるまで酔い、友達が嘔吐で窒息しそうになって慌て、鎌倉への遠足では由比ヶ浜からもう記憶がなく、友達の部屋で飲み、先輩のアパートで飲み、自分の四畳半では9人で飲んで大家さんに怒られた。
彼女はできず、友だちとはお金の貸し借りでケンカし、あまりにお金がなくて実家の静岡まで野宿で自転車で帰り、その時親の金で一回だけ散髪に行き、Gパンに穴があくのが楽しみで、コーヒーを豆から入れる友だちに憧れ、夏にはアイスコーヒー1杯で果てし無く喫茶店で時間をつぶした。
学校から池袋は歩いていけて、その頃の池袋は西武やパルコがロゴからサインから魔法の国のようにカッコ良くて、いつか関わる仕事がしたいと願い、そんな僕たちに街は刺激に満ちていて、ポスターや写真やレコードジャケットや、目に入るものが全てカッコ良くて、新しい音楽が聴きたくて、伝説の名盤とやらも聴きたくて、東京育ちの友だちが生で見たというフォークゲリラがうらやましくて、田舎では見たこともなかった雑誌や同人誌を漁るように読んで。そんなことこんなことがたった一年の間に怒涛のごとくあって、結局ボクは多摩美に合格してどばたを出た。

結局何が言いたいかって、スゴイ1年だったってこと。18歳の田舎の高校生が一人で東京へでてきて、少しは自分は絵が上手いと思ってたのにもっと上手な人がいくらでもいて ……でもとにかく刺激も不安も夢も可能性も挫折も孤独も自分を見つめる時間も貧乏も空腹も狭くて汚い部屋もやせヒョロリとした体もサラサラの血液もいくらでも飲めた肝臓も酔っ払って公園で眠ったバカさも新しいものへの好奇心もちょっとした音楽とかいいなと思っちゃう感度もちょっとした一言に傷つく弱さもはりのあったお肌も駅の階段くらいでは息切れしなかった心臓もとにかく今はもう手に入らないものが何もかもあって。
だからもしボクが今あの五角形だか六角形だかのヘンテコな建物の中で不安にしている自分を見つけたら言ってやらなきゃと思ってる。
「とにかく思いっきりやんなさい。上手くいこうといくまいと今のキミにはそれしかない。」
(2012横浜市民ミュージアム)
股のあたりキラッ族の闘い
(2011 広島市現代美術館)
(2008インドネシア)
【受賞歴】
2000年『時事おやじ2000』(アスペクト)、
『ゆるゆるオヤジ』(文藝春秋)にて
第46回文藝春秋漫画賞を受賞。
2001年『弥次喜多 in DEEP』(エンターブレイン)
にて第5回手塚治虫文化賞「マンガ優秀賞」を受賞。
【主な作品】
『流星課長』
『ヒゲのOL籔内笹子』
『地球防衛家のヒトビト』
『コイソモレ先生』
『方舟』他
【主な展覧会】
<グループ展>
2006年 横浜美術館「日本×画展」
<個展>
2006年 フランスアングレーム漫画祭での
作品展示
2007年 広島現代美術館「オヤジの世界」
【その他の活動】
2006年より
神戸芸術工科大学先端芸術学部教授として就任。