※2025年は準備中です
E.Aさん
合格大学:東京藝術大学 美術学部 絵画科 日本画専攻
女子美術大学 芸術学部 美術学科 日本画専攻
出身校:大妻嵐山高等学校
『ただひたすらに自分の道を』
多分私は最後までいわゆる優等生のようなタイプではなかったと思います。絵の出来の波は激しく、コンクールの結果も最後まで安定することはありませんでした。きっと「異端児」という言葉が1番私には似合っていたと思います。
そもそも私は「一般的な受験絵画」というような絵を描くことが出来ず、常に個性が魅力になるか癖っぽく見せるかの狭間を揺蕩っていました。個性というのは言わば諸刃の剣のようなもので、これだけでも合否に直結してしまうほどには重みのある要素だと思います。私は3年間の浪人生活でとにかくこの諸刃の剣に苦しめられ続けてきました。
特に1、2浪の時はこの傾向が強く出てしまい、学期に1枚上手いこと感覚の噛み合う絵が描けていればいい方、という具合でした。それでも2浪の冬期講習あたりからは比較的安定した絵が描けるようになってきて、特に苦手としていた1次試験も無事合格。2次試験も流れで突破できるかと思いきや藝大の壁はとても高く、あえなく3浪目に突入してしまいました。
3浪になってからは比較的調子も良く、これなら今年こそはいける!と1学期くらいまでは思っていました。事実、1学期末のコンクールではデッサンが3位、総合順位も7位と、今までずっと底辺で燻っていた私にしてはかなりいい成績を残すことができました。しかし2学期末〜冬期講習の辺りでどこか歯車が噛み合わなくなってしまい、ずっと調子を崩し続けてました。1、2枚はいい絵も描けましたが、その他は描けば描く程に絵が見ていられないようなクオリティにまで下がってしまい、日々焦燥感だけが募って行きました。そしてその焦りと苛立ちを抱えたまま、ついに入直が始まってしまいました。
2浪の時は私大対策の後に芸大対策が伸びたからと今年も肩の力を軽く抜くために私大を受験しましたが結局その後芸大対策が伸びることはなく、入直時期にほぼ毎回やっていたクラス内コンクールでは何度か最下位を取ったりもしていました。私はコンクールの結果でかなり一喜一憂するタイプだったので、2月末には精神面も絵のクオリティも泥沼のようになってしまい、最後の1週間は自分にあと何が必要かを考えると言うよりも、とにかくどうやったら調子が良かった頃に戻れるかだけを必死に追い求めていました。
必死に考え、歯車が上手く噛み合っていた時の共通点は「その瞬間を楽しめているか否か」なのではないかという結論に達しました。既にデッサンも着彩も残り1枚しか残っていない状況で、ともすれば今から方向転換しても遅すぎる可能性すら十分にありました。しかし自分なら絶対に合格出来る!と信じ込み、1次前の最後の1枚から2次2日目までの計8日間、絶対に正気には戻らないようにただただ楽しい方へ突っ走りました。
結果としてこれが功を奏したのだと思います。
1次試験は去年と光こそ違えど同じ位置だったので、とにかく落ちない絵を描くことを優先しました。対照的に2次試験では、楽しく描く事を優先し、描きたいものをめいっぱい描ける構図にして、逆に描いてても気分が乗らないであろうものは画面からほとんど切ってしまうというとても挑戦的な戦い方をしました。それが結果の出る受験であることなんか忘れて、本当に「楽しむ」ことだけを優先しました。それぞれの試験の前日には担任の先生に「明日は藝大で踊ってきます。」と言い残し、試験会場を自分のためだけに用意された舞台だと信じ込んだりもしました。
どうしても異端児にしかなれない私には、きっとこのような突飛な戦い方しかなかったのだと思います。それでも最後の1年間、どんなに攻めた絵を描いても内容さえ良ければ良しとして、マジョリティには近づけなかった私のような存在を肯定してくれたクラスだったからこそ、こうして今年合格出来たのだと思います。
なんか気に食わない、くらいの理由で何度も噛み付いてきましたが、それでも快く私の存在を受け入れてくれた先生方には深く感謝しています。
上手くいかないことにはある程度のパターンがありますが、上手くいくための方法(技巧とかではなく気の持ちようなど)は案外1つくらいしかなかったりします。あとは何度挫けても、何もかもが嫌になっても、それでも目の前を塞いでくる壁に立ち向かうことさえできれば、案外あっさりと道は拓けてしまうのかもしれません。