ハッピーアート
インテリアデザイナーの父の仕事の関係で0歳から14歳までニューヨークで育った私は、幼いころからアーティストになるのが夢でした。父は武蔵野美大の工芸工業デザイン学科卒業で、高校1年の時私に美大受験の大変さを教えてくれました。アメリカは高校の成績表を元にした書類選考とポートフォリオだけに対し、日本は実技試験のデッサン・平面構成と学科試験だと聞き、どこから手をつけていいか全く分らず混乱して焦りました。しかし、絵を描く事が何よりも好きな私は美大以外の選択肢なんて考えられませんでした。
高校2年の冬、母からすいどーばたのパンフレットを渡された時ものすごくワクワクしたのを覚えています。気が付いたら不安であったことも忘れ、受験勉強が面白そう!これならできる!と、希望を持ちました。
初めてすいどーばたの夜間部に通い始めたのは、大好きなバスケ部を引退した高校3年の夏で、受験勉強を始めるのが遅かったため家族や先生がとても心配しました。でもクラスに入ると自分と同じように絵を描く事が好きな人が大勢いたことに驚き、仲間意識がすぐ芽生えました。“一緒に合格しよう”というポジティブな空気が漂っていたのでマイペースの私にはちょうど良かったです。みんな良きライバルだけど家族のように温かい仲間ばかりでした。ニューヨークに長く住んでいたので、学科試験の英語は問題なかったけれど、国語、漢文、古文が苦手だったため、すいどーばたの夜間部の月〜土の授業以外に、苦手科目を克服するために他の塾に週2回通っていました。夜間部の「モチーフ当番」というバイトもしながらお金を貯めて“画材あ〜る”で授業に必要な物を購入していました。毎日受験勉強に明け暮れていたけれど、今思うとあんなに充実した日々もなかったと思います。
夏季講習の時に「夏を制するものが受験を制する!」と思い「1日も休まず、遅刻せず、絶対に乗り切る」と決めました。表現したい絵を描ける日もあれば、全くうまくいかない日もあり、何回も泣きながら池袋駅まで歩いたのを覚えています。ほぼ毎日壁にぶつかり、なんで上手くいかないのだろう?思ったより自分に才能がないのかな?と悩み、どうしていいか分らない時期が続きました。それを見かねた先生に、「受験も大事だけど、まず自分の描きたいものを楽しく描かないと続かないよ」と言われ、心の中で何かが弾けた瞬間でした。自分を信じて、自分にしか出来ないものを描こうと決めたとたん、吹っ切れたように好きな色を使うようになり、筆よりカラス口を使う回数を増やしたり、自分なりの研究をはじめました。物事をもっと考えるようになり、観察するようになり、疑問を持ったら質問し、トライし、失敗してへこんでも、また次も頑張る(笑)。基礎を徹底的に教わったからこそ、この方程式が成り立ったのだと思います。受験中は心が焦ってしまうし、なかなか自分に才能があるのか信じられない場面に直面するけど、そこをグッと踏ん張って、もう少しだけ頑張ることによって次のステージが見えてくると思うのです。
努力とみんなの応援の中、2000年に多摩美の情報デザイン学科に現役で合格することができました。
大学2年の冬に、テレビ東京「ASAYAN」という番組のヒップホップオーディションに優勝し、姉妹ラッパー「Heartsdales」(ハーツデールズ:http://www.heartsdales.net)としてデビューし、歌手と美大生の両立が始まりました。アートと音楽はクリエイティブという面では同じジャンルだと思うので、多摩美の芸祭で歌った事や、CDのイラストデザイン、CM、レコーディングなど、音楽とアートの両方に携われた事がとっても良い経験になり、今の私のバックボーンとなっています。
現在は歌手活動を休止し、原点であるアートに戻りニューヨークに住んでいます。「STUDIO YUMI」(スタジオユミ:http://www.studioyumi.com)というデザイン事務所を設立し、ニューヨークのギャラリーに作品を展示したり、オリジナルキャラクター「Yummy(ヤミー)」に命を吹き込み、アメリカの会社とアップルのiPhoneのアプリケーションやゲームなどを手がけています。
iPhone アプリケーション「Yum シリーズ」 Yummy達 Super Star(アクリル)
作品作りにおいていつも心がけている事は、見る人が元気になれるようなパワーがいっぱいのアートを発信することです。私はそれを「ハッピーアート」と名付けています。多くの人に元気が伝わるような絵をドンドン描いていきたいと思っています。絵はいきなり一日で上手になるものじゃないけれど、日々努力すればある日突然グングンと伸びていくので、一発逆転を狙うよりコツコツ頑張ることが一番大切なステップだと信じています。
私はすいどーばたで、良い先生や良い仲間に出会えて、努力する楽しさを知った事が人生のターニングポイントでした。あの頃、がむしゃらに頑張っていた時のパワーを忘れず、いつまでも自分らしいアートを表現し続けられるよう、今も冒険の日々です。
これから自分の夢をどんどん追い求めていくみなさんの将来を心から応援しています!