彫刻科 2019

斎藤晃祥 さん

神奈川
県立百合ヶ丘高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科

「どばたでよかった」

どういう心持ちで浪人生活をしていたか、これから受験を頑張る人たちに少しでも参考になればと思います。これはあくまでも僕個人の考え方です。

「コンクールの結果が悲惨でも受け入れる」
一浪最初のコンクールで粘土の評価がC(最下位のランク)だったのですが、悲観的にならず現実を受け止め次のコンクールまでに結果に対しての問題点をなくすようにしていました。

「とにかく周りから技を盗む」
ドバタには上手い人がかなりいるのでその人たちの実技の姿勢を真似してました。
参考作品も多いのでそれを見ながらテクニックを盗んでいました。

「悩んだら講師と相談する」
自分では解決しにくい問題があると講師の方々に相談していました。客観的に指摘してくださるので、意外と解決法がシンプルだったなんてことがよくありました。

「オンとオフをしっかりつくる」
あまり集中力がない方だったのでその日の実技課題が終わると速攻で帰宅し、次の日の実技に真剣に取り組むためにギターを弾くなど実技以外のことをして気分をリフレッシュしていました。

支えてくださった方々に感謝の気持ちを忘れずにこれからも日々精進していきます。

福井つかさ さん

京都
私立同志社高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科

「最高の選択肢」

現役の冬、初めてどばたに来た。それまで地元京都の画塾で2畳ほどのスペースに指導もなく1人黙々と制作していた私にとっては衝撃的だった。彫刻を目指す人間がこんなにもいたのか。ここには制作をする環境がきちっと整っていて、先生方は生徒達を作家として扱っている。生徒たちは自分がやりたいことをこれでもかと作品に曝け出していた。戸惑った。しかし、その集団の中にいると自分から今まで思いもしなかったようなやってみたいことやこうすればどうなるんだろうという探究心が生まれてきた。
現役は2次落ちだった。最終合格発表の後、1人でトボトボとどばたにたどり着くとそこには合格者が集まっていてお祝いムード全開だった。正直落ちた私が居ていいような雰囲気ではないと感じた。悔しかった。こんなにも人を羨んだのは初めてだった。でも同時に納得した。やっぱり今の私の実力じゃこの人たちにはまだまだ及ばないんだ、実力が全てなんだと。
京都から東京に引っ越し、一浪生活が始まった。悔しさをバネにガチンコで頑張るはずだったのだが、振り返ってみるとマイペースに過ごしていて想像以上に楽しく充実した日々だった。同じ目標を持つ気の合う仲間や一緒に頑張れるライバルとも出会えた。好きなことをして毎回講評してもらえるなんてすごく幸せだった。時には全く自分を信じられなくなり、一丁前に悩んだりした時もあった。そんな時はデッサンが上手くいかなかったのなら1回逃げて他の彫刻1に力を入れてみたり…と、幸運なことに試験が3種目もあるのでとにかく実技が嫌いにならないように工夫した。好きが1番の強みになると学んだからだ。
試験本番では1次と彫刻1はこれはコンクールだと自分に言い聞かせて平常心を保った。模刻では去年の悔しさをもう二度と味わいたくないと死ぬ気でシルエットを合わせにいった。その晩、高熱を出し寝込むほどに。。。
思えば1年はあっという間だった。まだまだ学び足りないことが沢山ある。芸大に受かったからと言って苦手だった塑像で生ものを作れるようになったわけでもない。大学生という称号をもらい、これからは今まで以上に精進しなければならないと責任感が芽生えた。
どばたに来たから1年で私は変われた。ここで私にあらゆることを教えてくださった先生方、助手さん、切磋琢磨し合った友人達に心から感謝している。本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

笠木優菜 さん

埼玉
県立芸術総合高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科

「振り返り」

自分の浪人生活を振り返ってみると、上手くいかなかった事ばかり思い浮かびます。自分の理想は高い所にあるのに、普段の授業やコンクールで思うような結果が出ないことが多く、苦しい思いをしました。
そして、長い間自分の不器用さと甘さにどう向き合えば良いのか分からず、悶々とする日々を過ごしました。

それでも私には、諦めないしぶとさと、真面目さと、体力がありました。正直それしか自信がないのもどうなのかと思いましたが、それがあれば折れることはありませんでした。

そして2浪の冬あたり、ようやく自分の実技をちゃんと判断できるようになった感覚がありました。同時に、自分の弱い所ともちゃんと向き合うことができたような気がしました。

試験前の最後の最後まで、もがきながら、それでも少しずつ成長しながら制作をしていました。
講師の言葉に助けられたこともあり、試験直前の実技は、今までのなかで一番納得できるものになりました。

試験本番はやっぱり緊張してしまって、3つとも自分の一番良い状態で制作をすることはできませんでした。
ですが、今までちゃんと積み上げてきた経験が助けてくれました。自分の中でバッチリではなかったものの、今までの試験のなかでは一番実感をもって制作できたと思います。

夜間部を入れると3年間、沢山の人に助けられながら、なんとかここまでやってこれました。本当にありがとうございました。

丹亮二郎 さん

埼玉
県立上尾鷹の台高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
多摩美術大学 彫刻学科

「感謝」

あっという間の2年間でした。
とっても楽しくてみんなからもよくしてもらえて、すごぐいい人達ばかりでした。本当にみなさんに感謝しています。

講師の方々はとてもノリが良くて楽しい話やふざけた話をたくさんしてくれました。
友達も学校外では美術の話関係なく楽しく話せる人達ばかりで本当に好きでした。

面倒くさいと思ったり嫌だなと思った事もたくさんありましたが僕は本当に浪人して良かったと思います。これからも自分らしく頑張って行こうと思います。

両親には感謝してもしきれませんがこれから少しずつ恩返しができたらいいなと思っています、なので芸大に合格することができて本当に良かったです。

本当にありがとうございました!

寺田博亮 さん

熊本
県立第二高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
東京造形大学 彫刻専攻領域

「Imagine」

どんな状況でも結果を出す。自分の気分とか周りの環境とか、そんなものは関係ない。紙の目が潰れ色も質も無くなったって形を描く、残り時間と比較してやらなきゃいけない事の数が不可能な数でも必ずやりとげる。最悪の状況からでも必ず合格を勝ち取るため熱く強引に結果を出していた。

浪人という現実を見ればそうなるのも当然だった。
芸術の世界は自由で、いつまででもやってられる気がするが、そうではない。美術の大学に行ける事はとてもめぐまれた事だ。
多浪すれば上手くなるとは限らない。うまいから受かるとは限らない。去年受かった大学に今年も受かるとは限らない。
もし藝大に落ちて、その後もまだ試験が続くとき、その試験に受からなかったら美術の道から離れなくてはならない時、現実を受け止めて自分の最善を尽くせるかどうか。現実を見て受け止める力がなければこの世界に残ることすらできない。首から下しか使えない労働の人生を送ることになる。

そういうことと向き合って硬く強く熱く夏から秋頃までやってきた。
冬に入った頃、すれ違いざまに西島さんが瞑想を勧めてきた。
季節的にも寒く、今までのように熱を入れようにも入りきらない頃だった。

なんとなく読み始めた手塚治虫の漫画 ブッダ 。
ブッダの後書きに載っていた著名人の文の中で見つけたJohn Lennonの歌 Imagine 。

それらが僕に冷静さ、心の穏やかさ、許しの心、日々の美しさ。を教えてくれた。

Imagineの出だしの和訳はこうだ。

想像して、天国なんてないんだと
ほら、簡単だろう
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像して、みんなが
ただ今を生きている

それから僕は、「その日できることしかできない。その日できることをやろう。」という考え方をするようになった。
「その日できることしかできない」可能性を狭めているわけではなく、その日できる事の可能性は自分の想像を少し超えるぐらいまであって、自分ができる事とその日自分が見るもの感じるものがその日できることを決める。背伸びして届く事は挑戦してもいいが足が離れちゃいけない。

それからは焦ることもなく、無理や無駄や強引なことをすることもなくなり、1日をしっかりと感じられていたと思う。

最終的には僕の熱は抜けていったものだが、その熱が残した痕跡は欠かせない。この先彫刻家として生きていくには日々を感じることばかりでもいけない。遅刻とか欠席とか気分屋な奴らは日々を感じてるようだがそれは浪人生にとって許されないことだと思う。流れに流されるだけならさっさと他へ行ってほしい。僕らは何かを残したい。

大田黒隼平 さん

熊本
県立第二高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科

「敬意と感謝」

僕はデッサンも粘土も下手糞でした。
現役の時なんてビリになるかならないかの死の淵に立ってるような時も数回ありました。実際に今、こうして藝大に合格するまでコンクールで合格ラインに入ったのは、デッサンでわずか3回、粘土ではたったの1回しかありません。下手糞ですね。
そんな僕でも藝大に受かるんです。
これを読んでる受験生の心の支えに少しでもなれれば嬉しいので、僕の考え方や大切にしてきた事を紹介します。

まず、自分を知り、現状を認めましょう。上手く描きにいこうとせず、実直に正直に且つ客観的に捉え、「すべき事・出来る事・したい事」をよく考えて行動すれば、見る側にも伝わり、いつか実を結びます。人と比べるなんて、勘違いも甚だしいです。

次に、受験美術は所詮「器」です。勿論、器はとても大事ですが、その器に入れる「物」も今のうちから沢山考えたり、見つけるとモチベーションの向上にもなるのでいいと思います。

そして、感謝も忘れてはなりません。親や、講師、遠くで応援してくれてる人。或いは制作の際のモデルさんや、動物達も同じです。命に敬意を払いましょう。それらを忘れてしまったら美術をする価値がないです。

最後に、天国にいる母へ。
亡くなる間際、僕の心配ばかりしていましたね。あれから10年、僕も美術などを通して少しは成長し、心配事も減ったんじゃないでしょうか。僕は元気にやっています。安らかに眠って下さい。

これが受験するにあたっての僕の根幹です。

どばたで一年間過ごして、実技は勿論、人として成長出来ました。一生の宝物です。
僕に携わった全ての方、今まで本当にありがとうございました。

中西凛 さん

静岡
県立清水南高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科

「気持ちで負けない」

結果を出さなきゃいけない。
僕はみんなの期待とプレッシャーに押しつぶされそうだった。

実技に関して、この一年間を振り返ると、一貫して安定したものとは言えなかった。

毎回いい作品を作ろうと取り組んだ。もちろんその姿勢が作品に伝わり、良いペースで進められたり、ウェブアップになったりと、作品にかけた思いがしっかり評価として答えてくれることはあった。

しかし、思い通りにいかず、楽しく制作に取り組めないこともあった。むしろ、その方が多かった。その度に、構造のことや観念的な見方、意識などで悩んだ。理由はわかってるのに「なぜうまくいかないのか」と自分に腹が立った。入直のコンクールでは、どれも思うような結果が出ず、焦り、言い訳ばかりを探していた。そして、この苦悩は受験の最後の最後まで続いた。

入試が近づいてきた頃、高校で先生に言われた「最後は気持ちの戦いだよ」という言葉をふと思い出し、冷静になれた。そして、一年しっかり勉強したことを最後の最後まで信じた。

終わりに、僕は高校の頃とこの一年間の中で、沢山の出会いがありました。その中で、美術のジャンルを超えて色々な経験ができ、その全てが自分の力に繋がっていると思っています。本当に感謝しています。

亀田満紀史 さん

愛知
私立東邦高等学校 現役

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科

「そして、僕はマグロになった。」

中学2年のとき、僕は何のために生きているのかわからなくなっていた。数学もできない読書もできない。そんな人間がこの世の中で生きていけるのか。ある時、恩師に美術の道を勧められた。昔から美術にだけは集中できた。勉強机に1時間むかうことができなくても、制作にだけは夢中で何時間も費やせた。

そこから公立の美術系高校を目指すことを決め、地元の美術研究所に通うことになった。あるとき、講師に言われた。
「自分の仕事に命を懸けなさい。」
必死だった。来る日も来る日もデッサンを続けた。でも、公立高校に受かることは無かった。
やむを得ず、私立の美術系高校に通うことになった。美術の成績は悪くはなかった。デッサンを描けば貼り出されるし、いつもいいね!って褒められてた。でも、だんだんそれが怖くなっていた。良いか悪いかで判断される生存競争で、とても美術が楽しめると思える状態ではなかった。「デッサンがたのしい!」「次はあの像が描きないな!」なんてクラスメイトが共感し合ってたけど、僕にはそれが理解できなかった。

やみくもに制作する日々が続き、すいどーばたの夏期講習に来ている時だった。周りはベテランの人たちばかりでうまい作品をどんどん作っていた。僕は必死に食らいついていつまた。そんなときに講師の方に「いいね、熱意がこもってる。これなら試験で十分闘えるよ。」と言われた。
めちゃくちゃ嬉しかった。それまでどうすれば首位に立てるかとか、どうやったらうまく見せれるのかと自分の地位の確立や小手先の技術の習得だけに意識がいっていたが、「試験で大切なのは熱意なんだ、見る人には自分の込めた熱意がわかるんだ」と強く感じた
地元に戻っての制作も、情熱が込めれた。
黙々と制作するうちにふと思った。

「僕はやっぱり美術が好きなんだ。」

そこで、自分がマグロになっていることに気づいた。「自分は美術でしか生きていけない人間なんだ。」「自分は美術に命を懸けているんだ。」ということを再確認できた瞬間だった。強い意志で制作に向かい、自分に陶酔しすぎず、常に新鮮になれた。確かに順風満帆になんていかなかった。うまく行かなくてカルトン投げ飛ばしたこともあったし、目から汗が止まらなくなったこともたくさんあった。でも自分の仕事に責任を持てたから「やらなきゃ」と思って続けることができた。
入試直前講習もホントに辛かったけど、たくさんの講師の人の支えがあって高い壁をどんどん越えていけた。だから試験は自分を信じて自分の仕事に責任持って制作に取り組むことができた。
合格発表の日、高校受験の様子が脳裏に浮かびやっぱりダメかもしれないと思いながら上野公園を歩いて藝大まで行き掲示板を見ると、自分の番号があった。
自分の熱意が教授に伝わったんだ。っとこれまで感じたことのない喜びを味わえた。

これからは芸術家として、人のココロをつかみ、美術と人々をツナぐことのできるよう立派に成長していきたい。

最後に
すいどーばた美術学院の講師、助手の方々、高校の美術科の先生方、支えてくれたクラスメイト、地元の美術研究所の方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

高橋穣 さん

東京
都立総合芸術高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科
日本大学芸術学部 彫刻コース

「『考えない』を考える」

受験生活をしていく中で、体験記を書くことになったらこの事を書きたいな、と考えたりしてモチベーションを高めたりしていた。だけど、いざ書くとなってパソコンに向かってみると、何も思い浮かばない。だからゆっくりと時間をかけながら本当に大切だと感じた事を書いていこうと思う。

高校での課題、制作に追われながら受験に向き合い迎えた夜間部生としての芸大受験。残念ながら一次試験すら通過することはできなかった。そして、両親との死闘のような浪人交渉。三時間の正座で必死に訴えた芸大受験の重要さ、自身の実技力の未熟さ。
しかしこの体験談で書きたいことはそんなことではない。伝えたいのは僕が浪人生活を送るにあたり決めたたった一つのルールについてです。

『考えない』

どうやったらデッサンが上手くなるのか。かっこいい彫刻Iが作れるようになるのか。生々しい粘土が作れるようになるのか。次のコンクールでB˚(芸大合格レベルのランクのこと)が取れるのか。芸大入試で一次通過できるか。はたまた合格できるか。
考えれば考えるほど不安にかられ何をしていいかわからないのが、浪人生活だと思います。なので僕は何も考えないように、直感的に動くようにしました。といっても何にも考えず淡々と実技をこなしていくだけでは上達はあり得ません。そこで大事なのは直感力を鍛える、日々の生活から良し悪し、気持ちいいか悪いか判断できるようにすることが大切だと思います。毎週美術館やギャラリーに行ったり街中を散歩したり、いろいろな事を目にする事で自然と納得のいく実技ができるようになってくると思います。

毎日朝早くどばたに行き、しっかり準備をして実技をする。真摯に実技に向き合うことも大切ですが、よくデッサン・模刻中離れて見ろと言われるように浪人生という自分自身を客観視して、自分の長所を見極め難所を補う為に、自身の置かれている状況を考えることも大切です。これを読んでいる受験生全員に、東京芸大に入る資格はあるのです。高校を卒業していれば芸大に入る資格はあるのです。全員に入るチャンスはあるのです。ただ20人しか入学できないだけで、全員に資格はあるのです。これを読んでいる受験生は気負いせず受験当日を迎えて欲しいと思います。僕もそうやって自分自身に言い聞かせて自信を持って実技を受けました。
自分自身と向き合い虚勢を張らず、カッコつけずに地に足つけて1年間踏ん張ってきました。そうやってこれからも頑張って行こうと思います。

石綱ちひろ さん

栃木
私立宇都宮文星女子高等学校 現役

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科

「感謝」

私だけではここまでこれなかったと思います。
自分の好きなことを思いきりできたのは家族のおかげだし、競い合える喜びを与えてくれたのはどばたにいる友達、そして彫刻を造るにあたって大切な事を教えてくれたのは講師の方々。
そんな周りの人達がいたから本気で頑張ることができたと思います。
今まで支えてくださった方々、本当にありがとうございました。
大学でも精一杯頑張ります。

長田侑粋 さん

大阪
市立咲くやこの花高等学校 卒

合格大学:
東京芸術大学 彫刻科

「合格して思ったこと」

僕は保育園の時から高校生まで何も考えず自由に絵を描いていました。
そんな美術がとても好きで楽しかったです。

けど受験の美術は楽しくない時もありました。
その時は全然うまくいかないです。
でも少しずつ楽しさを見つけることができました。
僕は受験でも楽しくできたので合格したんだと思います。

合格して振り返ってみると夢中になって絵を描いていた頃の気持ちは忘れちゃいけないと感じたし、
それが僕の中での美術だと思いました。

やっぱり美術は楽しいものだなぁ