映像科 2010-2017

染谷夏美 さん(2017年 映像)

千葉
私立聖徳学院付属女子高等学校 現役

合格大学:
武蔵野美術大学 造形学部 映像学科

「負けたくない。」と、その時の気持ちがわたしを強くしてくれたように感じます。

高校2年生の秋にすいどーばたに通いはじめ、いつの間にか他の受験生に負けたくないという気持ちが生まれていました。
だから今までにないほど夢中になって、家から2時間弱かけてでもすいどーばたに行くのが楽しみでした。
すいどーばたに行くと面白くて優しくて時に厳しい先生方、共に必死に受験に取り組んできた仲間に出会えました。

週に3日というよりは毎日、周囲のことに敏感になって自分の中で葛藤を起こしながら気づきを言葉にしていく。
そして自分の感じたことや気付いたことをやっと今、ちゃんと言葉にして人に伝えることができるようになった幸せは受験をしてよかったと思えることの1つです。
今日までの日々が映画のフレームの中にあるなら少しかっこよく感じることのように、感じる素晴らしさを知りました。
これからもここで身につけたものを大切にしていきたいです。

堀内 由偉 さん(2016年 映像)

東京
私立攻玉社高等学校 現役

合格大学:
武蔵野美術大学 造形学部 映像学科
東京造形大学 映画科
東京造形大学 アニメーション科

本気なら諦めないほうがいい

自分は高3の冬季講習からすいどーばたに通い始めました。
それまではセンターB方式だけでの受験を考えていて、すいどーばたに通うことは考えていませんでした。
今から実技の対策をしても周りに追いつけないだろうと半ば諦めていたので実技の練習はしたことがなく、それまでセンター対策だけを行ってきました。
しかし、友人の助言により公開コンクールの存在を知り、折角ならばと受けてみることにしました。
その結果、良い点数は出なかったものの、練習すれば点数が上がるのではという可能性を見出すことが出来ました。

それからというもの、自分は冬季講習、直前講習とほとんど毎日すいどーばたに通うようになりました。
冬季講習の初めは良い成績をとれる訳もなく、とても辛い時期が続きましたが毎日通うことで成績も徐々に伸び始めました。
その甲斐あって武蔵美の映像科に合格することが出来ました。
何よりも諦めないことが肝心だと実感しました。

矼 由之輔 さん(2014年 映像)

東京
私立貞静学園高等学校 現役

合格大学:
武蔵野美術大学 造形学部 映像学科

ぼくにとっての映像の基礎

受験が楽しい。一年間映像科で学んで真っ先に浮かぶ言葉だ。
自分でも不思議な程1日を敏感に生き、充実した毎日を過ごせていた。
映像科は僕に生きている実感を与えてくれた場所なのだ。そして制作中に最も「生」を感じた瞬間、ぼくは決まってある一説を今も思い出す。

映像は人の頭の中へ時間を流す物。
どういった時間を演出したいのか、それを表現するためには何を訴えたいのか、などを自分と向き合い続け試行錯誤する。
つまりぼくにとって生きることは「葛藤」なのだ。

映像科の先生方はどんな作品にも素直に評価を述べる。
そして制作した意図を一緒に考え時には厳しい批判もする。
もっと具体的に、とディテールを削る作業を何年もやってきた人達だからこそ情熱があり授業は盛り上がる。
クラス内の空気が明るくなる。その余波を受け取った生徒は自然に緊張感と幸福感で満たされ、すぐに仲が良くなる。
結果、先生と生徒を隔てる壁が消えチーム全体で一致団結し1日を乗り越えられるようになる。
一つの情熱がたくさんの連鎖を生み出すことでクラスの輪の広がりが増していく。
そしてこの輪のおかげでぼくは生きることを苦に考えずに、「葛藤」と位置づけることが出来たのだ。
映像科は苦しみを楽しめるものへと変え、その人にしか表現出来ない時間を共に考えてくれる場所なのだ。

大越 味来 さん(2014年 映像)

東京
私立昭和女子大学付属昭和高校 現役

合格大学:
武蔵野美術大学 造形学部 映像学科
東京造形大学 造形学部 デザイン学科 アニメーション専攻

受験対策以上の授業

すいどーばたでは、受験対策以上のことを学ぶことが出来ました。
カリキュラムの過程では、入試問題に沿ったものだけではなく、映像実習や写真実習、自由製作など多様なのが理由の一つだと思います。
そして、ある程度の完成度までもっていき、人に見せるという経験は、これからの自分の製作にとって、良い意識づけになりました。

また、映像実習では、人とひとつのものを製作することは初めてで、苦労も沢山ありましたが、完成したものを見ると達成感が本当にありました。
入試対策では、課題で与えられたことや、考えたことを生活の中でも考えると景色が新鮮に思え、発見がとても楽しかったです。

例えば、ホースの水が道路に流れているとします。
その水は、熱っせられて乾いたアスファルトの色を濃くし、徐々に熱を吸い取りながら太陽の光を反射します。
そのとき、アスファルトの中に含まれた何かの粒子が、キラキラと光り、誰かがその上を踏みつけてもそれは止むことがありません。
そうして、水は蒸発し、いつの日か雨として頭上から降りしきるのです。
このように、ほんの些細な出来事にも様々な事象が発生し、それぞれにドラマがあることを、授業を通し実感しました。

髙木 杏奈 さん(2013年 映像)

東京
私立川村高等学校 卒

合格大学:
武蔵野美術大学 造形学部 映像学科

一丸となって

教室に入ってまず驚くのは、生徒や先生たちの仲の良さだった。
課題毎に生徒の過去や考えを知っていくということは、映像コースの教師と生徒、生徒同士の距離が近かった理由の一つかもしれない。
講評やディスカッションでも彼らは積極的に意見を交わし合い、共に思考していた。そこでは同じ方向を目指す一体感や居心地の良さが感じられた。
実技対策では内面をさらけ出すような課題が多く、恥ずかしがり屋の私には抵抗があった。しかし徐々に他者へ考えを伝えていけるようになったと思う。
第2志望の大学に入学するも中退し、再びすいどーばたへ通った。結果一浪で第1志望に合格できたのに、年度の異なる半期ずつしか映像コースで授業を受けられなかったことを惜しく思う。それ程に映像コースでの時間は、平坦続きであった私の日常に突出した変化をもたらしたのだ。

菊池 悠里 さん(2012年 映像)

埼玉
県立伊奈学園総合高等学校 卒

合格大学:
武蔵野美術大学 造形学部 映像学科

学ぶことで見えてきたもの

私は高校の美術科出身で在学中から美大に行くことが当然といった環境にいました。そし て比較的軽い気持ちで進路を映像科に決めます。どばたへ通い始めたのは高三の夏期講習 から。実習や受験対策を繰り返す連れ見る物の視点も自然と広がり、映像というものに更 に興味を持ちのめりこうようになりました。しかし課題に応じて自分らしい作品を作ると いうのは予想以上に難しく、結果現役の受験では不合格。浪人を決めました。相変わらず 中々納得のいく良い作品は作れず何度も挫けそうになりましたが、少しずつですが成長している自分もあり頑張ることができました。それも映像科の仲間たちと先生方のおかげで す。バイトにどばたにと多忙な日々でしたが、新しい人々との出会いや経験はかけがえの ないものになりました。私を支えてくれた全ての人に感謝しています。本当にありがとう ございました。どばたで学んだことを胸に、これからも先へ進んでいきます。

高徳 宥介 さん(2012年 映像)

東京
都立東大和南高等学校 現役

合格大学:
武蔵野美術大学 造形学部 映像学科
東京造形大学 デザイン学科 映画専攻領域

「どばたという場所」

僕は夏期講習から映像科に通うようになりました。どばたに入ってまず感じたことは、一回の課題から色々な考え方や感じ方、解釈の仕方を学べる、ということでした。夏期まで僕はほぼ一人で地元のアートスクールで課題をやっていたのでどばたに入ると同時に、多人数の中で同じ課題ををやり、客観的に現在の自分のレベルや癖が分かるようになり、以前より俄然やる気が出ました。通う距離や経済的な面での問題もあり外部生だった僕ですが、にもかかわらず講師の先生や事務の方々は数カ月ぶりに冬期講習に来た僕のことを覚えていてくれ、親身になって入試の直前まで的確なアドバイスをしてくれました。自分一人の考え方では気づけなかったことを講評の度に先生方は教えてくれ、より自分の得意とするやり方を尊重してくれながら、質の向上を図れました。試験前日には生徒一人一人にメッセージをくれるなど、素敵な一面も持つどばたの先生と貴重な経験をこの場所は与えてくれました。本当にありがとうございました!

熱田 奈々 さん(2012年 映像)

東京
都立つばさ総合高等学校 卒

合格大学:
武蔵野美術大学 造形学部 映像学科
武蔵野美術大学 造形学部 デザイン情報学科

『一瞬の内に広がる世界』

雫が生まれ、落下し、地に着く。一言で言えば「落ちていく」という だけ。だが、その過程では様々なことが実は起きている。例えば、 水蒸気や雨によって雫は生まれる。つまり場所の状況により雫の出現 状況は異なる。また、落下していく過程でも場所の影響を受けている。 風が吹いていたら真っ直ぐには落ちないし、この時クローズ アップして見てみれば、雫の中には周囲の景色が映り込んでいるだろう。 地に着くとき、下が土なら水は吸い込まれ土の色を変えるし、水たまりならば水が跳ね、波紋が生じる。 雫が落ちるだけなのに、その一瞬ではこんなに多くの現象が絡み合って起こっている。こんな普段ふと見逃していたことを意識するようになったのは、どばたの映像科で、現象をとらえる目を培ってきたからだ。 ある現象の成り立ちを追おうとすればするほど、小さな世界も急に大きく見え始める。講師の先生方が、私の小さな想像を大きくするために手助けをしてくれたことを、心に深く感じている。

野上 勝己 さん(2011年 映像)

新潟
県立長岡高校 卒

合格大学:
武蔵野美術 大学映像学科
武蔵野美術大学 デザイン情報学科
東京造形大学 デザイン学科映画専攻

「自分を信じる術」

進学校に通っていた私は、志望していた一般大学のオープンキャンパスで違和感を覚え、新たに大学探しをした。美大の芸祭に行き、直感的にここに行きたいと感じ、3年の秋に周りと違う進路変更を選択した。すいどーばたの通信教育を1~2ヶ月受け、冬季講習に臨んだ。
講評ではいつも最下位で、自分の直感に大きな不安さえ感じていた。けれども、だんだんと評価も上がり、周りが見え始めると、そこで学んでいるたくさんの価値観や、見方の面白さに気付き始めた。今まで見過ごしてきた日常の多くについて考えた。
現役で受験した際、講師の先生にいただいたメッセージがとても自信につながった。「本番の3時間は、今まで講師に言われたこと以上に、自分が良いと思った発想で挑んで良いよ」というものだ。
第一志望に落ち、浪人するか否かの選択に迫られた。やっと楽しくなってきた映像科の実技をもっとやりたい気持ち、そして大学の教授よりも、どばたの先生にもっと教わりたい気持ちがあったので、浪人することを選択した。
先生のアドバイスよりも自分の直感を優先して作品を作った際、その選択が評価された事があった。子供の頃から周囲の声より自分の直感を優先してきていたが、どばたでそれが評価されずに苦しんでいた。それは、作品に自分の直感を反映させる際に、責任を持っていなかったからだ。
責任を持つ事とは、説得力を与える事だ。細部にこだわりを持つ事や、練り上げた思考量や、大量の描き込みなどで、無理矢理にでも成立させるのだ。進路でいえば、成し遂げる事や、先を見据える事、あきらめない事などだろう。
講師陣は第一線で活躍する現役のアーティスト達で、生徒を1人の表現者として接してくれた。講師の活躍は嬉しく、なおかつ自分も負けまいと対等な気持ちでいることができた。
これらの自信は、どばたという環境で鍛え上げられることなしには成り立たなかっただろう。受験勉強以上の事をたくさん学べた、恵まれた環境だった。自分の直感を信じる術が、いつのまにか身に付いていたのだ。これからも自分を信じて行ける。ありがとうございました。

志村 知晴 さん(2011年 映像)

東京
私立十文字高等学校 現役

合格大学:
武蔵野美術大学 映像学科

1つの目的に向かって集中して取り組むという事の大切さを、この1年で身をもって学んだと改めて私は思う。
すいどーばたに入ったのは高3の春季講習会からだった。その時は映像科に入った理由も、CMや映画、絵を描く事が他よりも好きで興味があるからという曖昧なものだった。私は、なんで映像科に来たの?というまわりからの問いにこの答えを言っていた。けれど次第に、自分の当たり前のようなこの志願理由に自信が持てなくなった。本当にこれで良いのだろうか、本当にこの科で良いのか。私は、その不安から他科へ目移りするようになっていった。この不安を抱えていると、映像科での授業にも集中できなくなってきた。少し伸び悩んでもいた。
5月の半ば頃、この状況に焦りを感じた私は1人の講師の先生に思い切って相談をした。先生は丁寧に自身の体験談も交えて答えてくれた。そしてその中で、自分には何が向いているか、何が一番合っているかなんて事は、やってみないとわからない。だから、まず今1番興味のあると思う映像科を選ぶというのは決して駄目な理由じゃないという言葉を貰った。
私は、それ以来、自分自身のこの道を選んだ理由に自信を持っている。そして、課題にも集中する事ができた。やるからには、やり尽くそう、全力で取り組もうと思えた。伸び悩む時期は何度も来て、何度も泣いた。そのたび先生や周りの友達はとことん話を聞いてくれたし、一緒に考えてくれた。それでも、やめたいと思う事はあった。だがあきらめなかった。
映像科に入って映像を学ぶ。それはなぜかと理由を他人から問われた時、また自分自身に問うた時。自信を持ってその理由を言えるようになった。その自信から私はこの目的に集中することができた。その課程で多くの濃密な知識、人間関係、考えを得られた。たった1つの事に集中する事は多くを得られることなのだ。

田中 里奈 さん(2010年 映像)

熊本
県立第一高等学校 現役

合格大学:
武蔵野美術大学 映像学科
東京造形大学 デザイン学科映画専攻

「新たな自分の発見」

私は高校3年生になって自分のやりたいことを見つけるまで、美術系の大学への進学を全く考えていませんでした。美術に関する知識もなければ技術もなく、志望大の受験内容パンフレットが来て初めて実技の勉強を始めました。とは言っても、自分1人では何からすれば良いのか分からず、ただただ自己流に絵や文章をだらだらと書く日々でした。
そんな時、母の知人に紹介してもらったのがこのすいどーばた美術学院でした。地元に映像の受験勉強ができる場がなかった為、「もうここしかない!」と夏季講習の申込をハラハラしながら送ったのを覚えています。
熊本で、家から高校まではバス10分、帰宅部な上に熱中するものも特にない、という狭い世界を過ごしていた私にとって、東京へ行って長期滞在することはとても大きな変化であり、また不安もありました。初めて講習に行き、作品を作った日は、自分の実力の無さに落胆し、母に思わず弱音ばかりの電話をしたこともありました。それでも諦めずに頑張ろうと思えたのは、信頼できる先生や友人の存在があったからだと思います。自信のあるものが1つもなく、個性や自分だけの感性もなかった私でしたが、夏季、冬季、入直を通して、先生方はたくさん私の良さを見つけて下さり、大きな自信へと繋がって新たな自分を発見するきっかけになりました。友人とは作品について意見交換をしたり、励まし合ったり、時にはお互いの地元のネタで盛り上がったりと、高校生活では体験できない時間を過ごし、またそのような交流を介して、自分の長所や短所を見つめ直すこともできました。
先生や友人との関わり合い、そして授業を通して、私はたくさん新たな自分を発見することができ、すいどーばたでの毎日はこれから先夢を追いかける上で大きな財産になると思います。

カク・スヨン さん(2010年 映像)

私立
白百合学園高等学校 現役

合格大学:
武蔵野美術大学 映像学科
東京造形大学 デザイン学科映画専攻

「『自身』を見つける」

与えられた課題になかなか良いアイディアが思いつかず、一文字すら書けなかったことが度々あった。無言で何時間も白紙の画面とにらみあっていると、何も進まない時間が辛く、私は何が作りたくてなにがしたいんだろうと迷走していた。しかし、その都度先生が私に声をかけ、様々なヒントをくれた。
絵、文章をどう書けば読み手に印象が残る作品を作れるかなどの知識だけではない。必ず、私が今まで作った作品や言動をふり返り、自分でも気づかなかった良い点や悪い点を拾い上げ、そこからどういった作品を作ってみたらどうかとアドバイスしてくれる。
先生の考えをそのまま言うのではなく、生徒がつくりだす作品に表れる雰囲気を中心にヒントを与えてくれるため、いかなる作品の出来具合であれ授業をかさねるうちに自身の発見ができ、私の場合は少しずつであったが作品に自分らしさが表れて、作る時間が楽しくなり満足のできる作品が作れるようになった。
入試直前になると休みなく授業が続き、学科をする時間もなくなる程多忙になる。
すいどーばたで共に学ぶ友人等も真剣な表情ばかり浮かべ、教室全体に緊張感が走るなかで、感覚テストにおいても小論文においても評価の悪い作品ばかりが出来上がり、1人で焦っていた。ピリピリする友人に相談もできず、「私はどうしたらいいんですか」と曖昧で漠然とした質問ばかり並べたてて長時間先生達の前に居座った時、先生方はずっと私の悩みに耳を傾けてくれ、くだらない質問にも答えてくれた。
4人の先生はそれぞれ個性的で、違った観点から意見を述べるので1つの作品からさらに見方が広がる。すいどーばたに通い、頼りになる先生達、仲間と出会い、私は自分にしかない「らしさ」を発見することができたと思う。

中川 潤 さん(2010年 映像)

茨城
私立ウィザス高等学校 卒

合格大学:
武蔵野美術大学 映像学科

「得たものは」

憂鬱だった。どばたに入った当初はずっとそうだった。私は自分に自信が持てなかったのだ。
だから、作品を見られることが非常に嫌だったのを覚えている。
映像科の課題は独特だ。特に感覚テストは自分の内面を強く押し出すことで作品を作りあげていく。自分の内側を出すことにひどく臆病だった私はそれが嫌で嫌でたまらなかった。おそらく、私を否定されることが怖かったのだろう。だから私の初期の作品はほとんどが未完成で提出されているか、あるいは提出すらされていない。
しかし、そんなやる気の感じられない生徒であった私のことを、先生方が見捨てることはなかった。どんなに面白味のない作品でも1つ1つ丁寧に指導をしてくれたし、授業が終わってからも私の話を長い時間聞いてくれた。そんな時、ある先生が言った言葉を私は未だに糧としている。
「どこが悪いかじゃない、良いところが伸びればそれでいい。」
この言葉で私の何かが吹っ切れた気がした。どこか変なところがあるのではないか、笑われてしまうかもしれない、そんなことばかりを考えていた私が恥ずかしかった。
それから私は作品を作ることに怯えるのをやめた。やめることができた。自分の作品に、自分自身に自信を持つことができるようになったのだ。そして今では自分の内面を曝け出すことが私の制作の基本となっている。
あの言葉がなければ私の合格はなかったと言えるだろう。推薦入試の本番で自分でも驚く程の自信を持ってプレゼンや面接に向かえたのはあの言葉があったからだ。
受験勉強や入試のコツなどではなく、もっと重要でこれからの私に大きく影響を与えることをどばたは教えてくれた。私はそう思っている。