辛酸なめ子氏

senior_03shinsan1

夜間部 1993年修了

PROFILE
本名、池松江美。
1993年 女子学院高校卒業、すいどーばた美術学院夜間部終了。武蔵野美術大学短期大学部(グラフィックデザイン専攻)に入学。課外活動で、アート系フリーペーパー「Pepper shop」を手伝う。自主制作新聞やフロッピー作品を人に見せたら、イラストや文章などの仕事が来るように……。美術家、中ザワヒデキ氏の会社で仕事を手伝う。
1994年 ゴメスマンガグランプリGOMES賞受賞
1994年 武蔵美卒業後、連載や作品制作しながらアルバイト(3DCG、編集など)をする。
1995年 インターネットのホームページ「女一人日記」を開設。
1996年 「STUDIO VOICE」誌で「秘宝手帖」の連載を始め、毎月オブジェ作品を作りためる。

 

すいどーばた

もりしおくん
もりしおくん

「黒いね」
「そうですね……」

 ええっ、それだけ?どうしてこの人たちは私のデッサンの才能に、原石の輝きに気付かないんですか? 誰よりも黒々と書き込まれて、目立ちまくっているというのに……。

 高校ニ年の冬、はじめて参加したすいどーばたのコンクールで、渾身の力をこめて描きこんだデッサンは箸にも棒にもかからず、講評会で「黒い」と言われて終わり、私は残酷な現実に直面したのです。信じたくないけれど、どうやら自分のデッサンは下手の部類に入るということに……。

 美大を目指す人は誰でもそうだと思いますが、子どものころから絵を描いては上手いとほめられ、自分には絵の才能があると思いこんで、いや思い上がっていました。しかし、このコンクールで、天狗になっていた鼻を、ポキッという音が小気味良いくらいにへし折られました。「美大に進学したい」と厳格な両親を一年以上かけて泣き落とし説得したのに、このていたらく。今さら普通の大学に行こうにも、勉強を全然やってこなかったため、偏差値的にどこにも入れそうにありません。もうあとには引けない……私は覚悟を決め、高三からすいどーばたの夜間部(毎日コース)に入ってハードな受験勉強に身を投じることにしました。

エスカレーターまき
エスカレーターまき

 といっても親はまだ完全には許してくれておらず「(学費の安い)芸大に受かるなら」という厳しい条件つきで渋々受講料を出してくれることになりました。祖母は祖母で「絵の勉強がしたかったら東大に行って美術部に入ればいいじゃない!」とこれまた不可能なことを言ってきて、芸大と東大の板ばさみ状態。しかし芸大と言われても志望するデザイン科は倍率五十倍、写真並の描写力を持つ五浪、六浪の猛者たちがひしめきあっていて、とても太刀打ちできません。すいどーばたの昼間部はさらに厳しい世界だと聞いていたのでなんとか現役で美大生になれれば……という気持ちでした。

 しかし一年で私大合格レベルに達するのか不安でしたが、先生の「デッサンは階段を昇るように上手くなる」という言葉を信じ、高校が終わった後、合コンの誘いも断ってすいどーばたに直行、毎日こつこつ実技に励みました。画材費を自分で捻出しなければならなかったので、モチーフ当番に立候補し、石膏などをセッティングしたり、終わった後の教室の掃除をして小銭を稼ぎました。高校一、ニ年からすいどーばたに通っている現役生に遅れを取ってしまっていたので、時間が足りないということが常に念頭にあり、実技中は休憩もとらずに数時間ぶっとおしで描き続けるのも珍しくありませんでした。集中しすぎて、その後買い出しに行ったら一時的にお金の払い方を忘れ、レジで硬貨をぶちまけてしまったこともあります。そして、思うように描けずにトイレで泣いたことも何度かありました。

 こうしてすいどーばたに通いはじめて数カ月、はじめて講評会でC(私大合格ライン)を取ったときの喜びは忘れられません。その時、コツをつかめた感じがして、苦手だった静物デッサンも立体感が出るようになってきました。鉛筆をけずる手にも気合が入り、毎日が楽しく青春状態。平面構成も、気付いたら課題ということを忘れて自分の作品感覚で描いていました。

シャインニップル
シャインニップル

 すいどーばたの夜間部の生徒はお互いがライバルというより、一緒に合格しようという気運があり、皆、合格という目標に向かってまじめに切磋琢磨していました。最初、親が「娘を美術予備校に通わせるのは狼の群れに羊を放すようなもの」と心配していたのも全くの杞憂で、普通の大学受験の予備校よりもよっぽどストイックで、色恋沙汰にかまける余裕もありません。当時すいどーばたで出会った友人たちとは、厳しい受験を乗り切った戦友感覚で今でも仲が良いです。

 他にもすいどーばたライフで得たことは紙幅が足りない程たくさんありますが、最も大きなものは「必ず時間内に終わらせる」というルールを叩き込まれたことです。どんなに途中経過が良くても提出の時にぬり残しがあったら不合格。プロになっても同じで、しめきりを守るのは何よりも大切なことです。すいどーばたでの日々の訓練のおかげで、体内時計をセットして時間内に完成させる術が身に付きました。今思うと、すいどーばたでの生活は、その後入った美大よりも毎日が充実していた……ような気がしてなりません。

*文中の作品は2003年にミズマアートギャラリーで開催された“池松江美(辛酸なめ子)「ソウルメイトを探して…」展”の展示作品の一部です

「電車でコラ」
「電車でコラ」
「千年王国(改訂版)」
「千年王国(改訂版)」
「〜オールアバウト 辛酸なめ子〜 処女☆伝説」
「〜オールアバウト 辛酸なめ子〜 処女☆伝説」
「ぬめり草」
「ぬめり草」
「知恵熱」
「知恵熱」
「アイドル万華鏡」
「アイドル万華鏡」

1998年 テレビ埼玉「インターネット天国」に一年ほど出演。日本のプリンセスへのオマージュである自主制作小冊子「Saaya & Me」を発行。
1999年 グラビアアイドルに憧れ、自費でバリ島に行き水着撮影。自主制作水着グラビア冊子「Mermaid Love」を発行。印刷代は十五万ほど。
中野のタコシェで「池松江美物産展」を開催。
2000年 8月末に三才ブックスより初の漫画単行本「ニガヨモギ」発行。
2001年 女・一人賃貸生活に不安を感じ、下町に安いマンションを購入。はじめての一人暮らしをスタート。11月に、青林堂より漫画単行本「千年王国」発行。
2002年 不動産や英会話教室など、日常を綴った「自立日記」を洋泉社から発行。NYのグループ展「METONYMICS」に参加。
2003年 サンフランシスコのギャラリーでグループ展「METONYMICS」巡回展に参加。
単行本「自立日記」(洋泉社)、「道徳の時間」(三才ブックス)、「ほとばしる副作用」(文藝春秋)を発行。
アルバイトを完全に辞めて独立、漫画や文筆などに専念する。「道徳の時間」(三才ブックス)、「ほとばしる副作用」(文藝春秋)、「癒しのチャペル」(白夜書房)を発行。up link ファクトリーでイベント「辛酸なめ子のおしゃれ探訪」開催。
MIZUMA ART GALLERYで個展「ソウルメイトを探して…」を開催。
アート作品を収めた「アートマニア」の「池松江美⇔辛酸なめ子 相互セラピー」特集発行。
2004年 「電車でコラ」(ブックマン)、「千年王国(改訂版)」(洋泉社)、関連書籍「〜オールアバウト 辛酸なめ子〜 処女☆伝説」(洋泉社)、「ニガヨモギ」(筑摩文庫版)、「ぬめり草」(ぶんか社)を発行。「爆笑問題のススメ」(NTV)、「爆笑問題のバク天!」(TBS)、「ストリーム」(TBSラジオ)などに出演。
2005年 「お悩みカテドラル」(主婦の友社)、「知恵熱」(パルコ出版)、「ヨコモレ通信」(文藝春秋)「アイドル万華鏡」「超訳・星の王子様」(コアマガジン) を発行。NYでのグループ展「 Psionic Distortion」、MIZUMA ART GALLERY十周年記念展に参加。代官山のセレクトショップIvyHouseでセレブをテーマにした“celebrity now!”展を開催。